「英語は法律を語るための言語、フランス語は詩を語るための言語、ドイツ語は哲学を語るための言語」という言葉があります。
各国のお国柄を、言語に託して定義した粋な言葉です。
ドイツ語とドイツ人に対して人が抱くイメージは、とにかく固くて真面目。
重箱の隅をつつくような精密な論理を好むイメージです。
でも、ドイツはゲーテやハイネといったロマン派の詩人を生んだ国でもあります。
ロマンチックな詩人と峻厳な哲学者、いったいどちらがドイツ文化の本当の顔なのか、不思議になりますね。
ここではそんな謎に迫るべく、18世紀のドイツロマン主義(ドイツロマン派とも)をとりあげてみました。
思索的な文学が流行した特別な一時期を手掛かりに、哲学と文学との関わり方について考えていきます。
ドイツロマン派とは
もともとロマン主義は、ヨーロッパ全体にわたって起きた文芸史上の出来事を指していう言葉です。
「ロマン(長編小説)」という言葉から文学上の一ジャンルと思われがちですが、文学のほか、美術や音楽も含めた幅広いジャンルに対して使われる用語です。
バルザックやヴィクトル・ユーゴーを擁するフランスのロマン派、ブレイクやワーズワースといったロマン派の詩人たちが活躍したイギリス、そしてここで取り上げるドイツロマン派が、ヨーロッパの代表的なロマン派です。
こうして各国で違った形のロマン主義が発展したということは、ロマン主義のある側面を示しています。
それは、国それぞれの個性がそれぞれのロマン主義を作り上げているということ。
ヨーロッパのバラエティ豊かな国民性が、そのまま表れているのです。
ロマン主義は学問の一流派というよりは、それ自体がまさに事件というべきものでした。
当時の実際の大事件として、フランス革命やアメリカの独立が挙げられます。
国を根本から揺るがすような大きな事件があいついだ当時は、誰もが社会に対する、そして自らに対する不安を抱えていました。
この不安は、やがて自分の存在の意味を問う実存哲学を生むことになります。
逆に、革命という変化を喜んで迎えた人もいました。
ロマン派の文学者たち、そして哲学者たちもそうでした。
時代の空気ともいうべきものが、社会思想といわば有機的な関係を結んだ結果がロマン派ということもできそうです。
哲学という視点からみた場合、ロマン派の意味合いはさらに狭く、おもに前期ロマン派と呼ばれる部分が該当します。
前期ロマン派は北部ドイツの都市イエナを中心に発展した文学の一派です。
ドイツロマン派に属する文学者として、諸説ありますが、一般的にはイエナ・ロマン派の中心人物シュレーゲル兄弟とノヴァーリス、民話を題材に優れた詩を書いたティーク、グリム兄弟とも親交があった民謡収集家・詩人のブレンターノ、不気味な作風で知られるホフマンなどが挙げられます。
このうち、今回取り上げる前期ロマン派に入るのはシュレーゲル兄弟とノヴァーリスです。
ロマン派の歴史の中から、とくに前期ロマン派をピックアップする理由は、この派に属する文学者の多くが哲学との関わりをもっているからです。
彼らが哲学と近い位置にいたのは、のちに述べるイエナの「文学者・哲学者同居」の住環境があったからですが、それについて考察する前に、まずこの時代のもうひとつの主役である古典主義について、簡単にみてみましょう。
古典主義
ドイツにおけるロマン派は、一般的に古典主義との対比で語られます。
古典主義とは、ギリシャ悲劇などの古典を文学の最高の形とする立場のことです。
ドイツにおいては、ゲーテやシラーによって完成されました。
ゲーテは「若きウェルテルの悩み」「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」などの文学作品でドイツを代表する作家といわれますが、若いころからホメロスなどの古典文学に親しみ、古典の教養を取り入れた作品群を多く残しました。
超大作「ファウスト」では、ギリシャ神話の世界を旅するエピソードも語られています。
ゲーテは優れた作品を残しただけでなく、ワイマール公国の宰相という立場からも学問に貢献しました。
ゲーテがワイマール公国に招へいした人材の中には、フィヒテやシェリングなど、のちのロマン派につながる思想家もいました。
かなわない愛をテーマにした作品が多く、文字通りロマンチックな空気を漂わせるゲーテですが、実は晩年にはロマン派を否定しています。
古典主義はギリシャ・ローマ時代の古典を理想とし、国籍にこだわらないグローバルワイドな思想が特徴です。
自分の国の個性が強く出るロマン派は、ゲーテにしてみれば普遍性を欠く狭い範囲での文学にすぎなかったのでした。
いっぽう、ロマン派の側からも古典主義に対する不満が出てきます。
古い価値観を大事にする古典主義は、進歩的な気風を有するロマン派の文学者たちから「中世的」「保守的」といった印象をもたれていました。
この反発からドイツロマン派が発生した、というのは原因と結果を混同した極論ですが、イメージとしてはそれほど的外れではありません。
とにかく、互いに相いれない性質であったということは確かです。
哲学との共通点
この時期のドイツは、哲学の花盛り。
ドイツ観念論と呼ばれる、哲学史に残る学派が完成されたのがこの時代です。
文学者の中にも、流行の哲学を学ぼうと考える人が多くいました。
そんな中でロマン派が生まれたのです。
このことは、わたしたちにとても不思議な印象を与えます。
叩けば音がするほど堅苦しいカントの哲学と、かなわない愛に命を捧げるロマンチックな「若きウェルテルの悩み」が同時代に流行したというのですから!
少し前でふれたように、この時期のドイツの知識人は、たいてい哲学の素養をもっています。
たとえば、前項のゲーテとともに古典主義を代表する立場のシラーも哲学と近接した立場にいます。
彼は哲学教授の資格をもち、カントの研究も行っていました。
また、ロマン派の創始者ともいえるアウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルは言語学に通じ、インドの思想を翻訳紹介することで新しい哲学の知見に貢献しました。
ロマン主義は空想的とよくいわれますが、観念論もまた目に見えないものを頭の中だけで追いかける学問です。
両者はともに形而上学的といえます。
そう考えると、ロマン派とドイツ哲学は互いにそう遠くないところにいるのかもしれません。
カントの「実践理性批判」には、「わが上なる星空と、わが内なる道徳律」に驚嘆を捧げた一文があります。
横道にそれるので詳しくはふれませんが、文学界でもそうそう見られないほどの美しさをもつ名文です。
専門用語で占められた哲学書の中に突然現れる美しい言葉は、まるでこの時代の精神を映し出しているかのようです。
このように哲学の中に文学があるとしたら、文学の中にもまた哲学的なものがあって然るべきです。
ロマン派の文学者たちは「自由」と「理想」を求め、あるいは空想の中にそれを見出し、あるいは政治活動に発展させることで社会的にそれを実現しようとしました。
これは本来哲学がとる態度にほかなりません。
とくに「自由」は、カントをはじめドイツ観念論の思想家たちが重要視する大事な概念です。
違う方法で同じテーマを扱っているという点において、哲学とロマン派の文学はコインの裏表のような存在ということができます。
フィヒテとシェリング
ドイツロマン主義と深い関係をもっていた哲学者にフィヒテとシェリングがいます。
2人はともにイエナ大学の教員を務め、ドイツ観念論の発展に貢献しました。
当時のイエナはロマン派の牙城ともいえる土地柄で、ロマン派の中心人物シュレーゲル兄弟やノヴァーリスも当地で活動していました。
彼らが住んでいた家はロマン派の家「ロマンティカーハウス」として今も保存されています。
フィヒテはイエナ大学の哲学教授で、自我を絶対的なものとしてなにより優先させる彼の哲学は、ロマン派の文学にも影響を与えました。
しかし、神を「道徳の根拠」でありいわゆるキリスト教式の「人の姿をした神」ではないとした論文「神の世界支配に対するわれわれの信仰の根拠について」が無神論とみなされて非難を浴び、結局イエナを去ることになります。
さらに深くロマン派の思想に親しんだのはフィヒテの後輩であるシェリングです。
シェリングの思想は、自我も他者も自然もすべてひとつのものとする同一哲学です。
当時カントの影響下で理性は「理論理性」と「実践理性」にわかれるという考え方がなされていましたが、シェリングは、その2つは同じものであると考えました。
そのうえで、理論と実践とを統一するものとして「美」を挙げています。
なぜなら芸術活動の中には、理論理性と実践理性が持つ特性が両方あるからです。
芸術家は、ときとして自分が作り出そうと思った以上のものを生み出すことがあります。
芸術家の才能によってどこからか読み取られるインスピレーション「美」は永遠無限なものであり、これを表現する技は有限にして意識的なものです。
芸術活動とはつまり、無限と有限という対立概念が矛盾なく同居している状態であり、2つの理性を無理なく統一できる唯一の方法なのです。この考え方を美的観念論といいます。
美学は哲学の一ジャンルであり、「美」を哲学するのはそれほど珍しいことではありません。
しかしシェリングの美的観念論にはロマン派からの強い影響が見られます。
フィヒテからシェリングに至るイエナのロマン派とドイツ観念論との交流は、哲学と文学が影響を与えあった歴史上のレアケースです。
まとめ
ドイツ文化の精髄であるドイツロマン派を、哲学という側面からご紹介してみました。
本来ならあまり交わることのない2つのジャンルが、この地この時代においては互いに貢献しあったということは、とても興味深いことに思われます。
「真面目で堅苦しい哲学者」のイメージと「自由奔放な考え方をもつ芸術家」のイメージが同じ時代、同じ場所で見出されるというのは、なんとも不思議なことです。
見た目通りの一枚岩ではないのがドイツ文化の面白いところ。
たとえてみれば「時間をキッチリ守り、常に敬語で話す人」と「サッカーの試合で大暴れする人」が同じ1人の中に同居するようなものかもしれません。
哲学的でありながら情熱の文学をも生んだドイツ文化への興味はまだまだ尽きません。