なにげない日々にひそむ謎を解く!「日常の謎」ミステリの世界
本格推理小説は、なにも血なまぐさい殺人事件を扱うものばかりではありません。
私たちの周りで日々起きている小さな事件だって、立派な推理対象になるのです。
謎のスケールが小さいからといって、敬遠することはありません。
日常の謎は、それが日常に溶け込んでいるだけに殺人事件以上に複雑。
本格推理にも負けない緻密な構成力が問われます。
想像以上に読みごたえがあるジャンルなのです。
次々と被害者が出る連続殺人にちょっとゲンナリしてしまった方にも、日常の謎を解くいわゆる「人が死なないミステリ」なら、安心してオススメできます。
何気ない日常がミステリに変わる驚きをご堪能ください。
空飛ぶ馬(北村薫)
幼稚園に設置されていた作り物の馬が消失。
と思われたのも束の間、翌日馬は何事もなかったかのように元の場所に戻っていました。
そんな不思議な事件をひも解くのは、落語家の円紫師匠です。
語り手の「私」が大学の先輩である春桜亭円紫とともに日常の謎を解く「円紫さん」シリーズは、日常の謎を得意とする著者の代表作。
ちょっとした事件に予想もつかない意味をもたせる技は、その後の作家たちに大きな影響を与えました。
「殺人事件が起きなくてもミステリは書ける」ことを証明し、それまでのミステリの概念を覆した記念碑的な作品です。
本格推理小説をこよなく愛する著者だけに、推理の過程は論理的。
かつ、ミステリの謎解きに絶対必要とされる驚きも秘めた傑作です。
五十円玉二十枚の謎(若竹七海ほか)
日常の謎を代表する名アンソロジーです。
本書によれば、発端は池袋の書店での出来事。
のちに推理作家になる若竹七海がバイトしていた書店に、奇妙な客が現れます。
毎週土曜日になるとやってくるそのおじさんは、いつも50円玉20枚を持ってきて千円に両替し、そのまま帰っていくというのです。
いったいおじさんは何がしたかったのでしょうか?
この実話をもとに「おじさんはなんのためにそんなことを(しかも毎週)したのか」を推理する「競作 五十円玉二十枚の謎」が生まれました。
プロ作家だけでなく一般公募でアマチュアも参加したこの推理コンテスト、大変な盛況でバラエティ豊かな名推理が続出しました。
発起人の若竹七海のほか、法月倫太郎、有栖川有栖といった新本格の達人たちも参加、それだけでも読む価値ありの貴重なアンソロジーとなっています。
また、アマチュア部門で若竹賞を獲得したのは「佐々木淳」なる人物ですが、これは翌年デビューした倉知淳の別名です。
気になる真相は、いまだ謎のまま。
もしかしたら、こういった実在する日常の謎は、謎のまま残しておいたほうがいいものなのかもしれません。
いずれにしても、ひとつの日常風景からこれだけの推理が生まれるという例として特筆すべき一冊です。
安楽椅子探偵アーチー(松尾由美)
小学5年生の衛が古道具屋の店先でみつけて、すっかり気に入ってしまった古い椅子。
誕生日プレゼントとしてその椅子を買ってもらった衛でしたが、なんと椅子が話しかけてきて!?
しゃべる椅子が探偵役という、これが本当の「安楽椅子探偵」。
著者はなんともユニークな発想で、前例のない奇抜な探偵を作り上げました。
探偵といっても、まだ小学生の衛の周りで起きる事件は身近なものばかり。
家庭科の授業でエプロンにししゅうしたタコ型宇宙人の絵が、なぜか首のところから切断された状態で発見される「宇宙人の首」事件をはじめ、「事件といえば事件」といったゆる~い事件に安楽椅子が挑むという、あらゆる意味でユニークな事件簿です。
探偵は椅子ですから、当然聞き込みや証拠集めはできません。
衛が集めてきた情報を頼りに謎を解明する、ロジックの勝負になります。
聞き手が小学生ということで、子どもにもわかるようにはっきりと示される推理の過程は、大人にとってもわかりやすく興味深いところ。
安楽椅子との交流を通して成長する衛の姿も優しい読後感を残します。
ほのぼのと心あたたまる連作短編集です。
珈琲店タレーランの事件簿(岡崎琢磨)
京都の小さな路地にたたずむ珈琲店「タレーラン」で、主人公とバリスタが日常の謎を解決するミステリシリーズです。
毎年恒例の「このミステリーがすごい!」大賞で最終選考まで残った作品で、その後大幅改稿を経て「隠し玉」として登場、以来シリーズとして版を重ねています。
主人公のアオヤマはコーヒーを愛する大学生。
おいしいコーヒーを求めてやまない彼は、ある日たまたま入った喫茶店でついに理想の味に出会います。
そのコーヒーを淹れた可憐な女性バリスタ・切間美星は、おいしいコーヒーを淹れるほかにもうひとつの特技をもっていました。
それは、日常の謎を解く推理能力。
初めて出会った日にその能力を見せつけられてから、アオヤマはたびたび店を訪れるようになります。
コーヒーとともに提示されるさまざまな謎、そしてバリスタの名推理。
彼女に興味を持ち始めたアオヤマですが、どうやら彼女には謎めいた過去があるようです。
京都というミステリアスな街を舞台にした、香り豊かなコーヒー・ミステリ。
お店に傘を忘れた女性の行動から、彼女とアオヤマの関係を見抜く第1話をはじめ、名バリスタがちょっとした行動から人間関係の小さな事件を読み解いていきます。
彼女が推理するのは、殺伐とした事件ではなく、ちょっとしたことだけれど人生の中で大切な事件。
人と人とのかかわりをコーヒーと名推理がつなぎます。
和菓子のアン(坂木司)
デパ地下にテナントとして入っている和菓子屋さんが舞台という、ちょっと珍しい作品です。
主人公の「アン」こと梅本杏子は、食べることが大好きでちょっとぽっちゃりした18歳。
これといってやりたいこともなく、なんとなくアルバイトで日を送っています。
ところが彼女のバイト先、和菓子店「みつ屋」の従業員は店長以下とんでもなく個性的な人ばかり。
和菓子のウンチクはすごいけど実は賭博にはまっている店長、イケメンなのにオネエ疑惑ありの先輩、同い年の元ヤン少女などなど。
そのうえ従業員に輪をかけて個性的な客たちが押しかけ、落ち着いたイメージのはずの和菓子店がドタバタコメディの舞台に!?
季節感あふれる和菓子をテーマに、おいしく読めるライトミステリです。
ミステリとしての体裁もバッチリ。
日々の仕事の中で訪れる小さな事件を、客が注文する和菓子の種類や個数から解いていきます。
個性豊かなキャラクターが、この作品のいちばんの魅力。数々の事件を通して、ヒロインが成長していく姿が読みどころとなっています。
体形にコンプレックスをもち、ときには自虐的になる主人公は、どこにでもいそうなまさに等身大のヒロイン。
和菓子というなじみのない世界に飛び込んだ彼女の奮闘をご覧ください。
ビブリア古書堂の事件手帖(三上延)
物語の舞台は北鎌倉。
古民家のような店構えの「ビブリア古書堂」は、貴重な古書から文庫本・マンガまで幅広い蔵書をそろえた古書店です。
主人公の五浦大輔は、子どもの頃のトラウマから本が読めなくなったという特異体質。
祖母の遺品の中にあった夏目漱石のサイン本(!!)を鑑定してもらおうと、ビブリア古書堂を訪れます。
ところが店主の篠川栞子は入院中でした。
病院までおもむいて見てもらった結果、サインはにせものであったことがわかりますが、この件をきっかけに大輔はビブリア古書堂で働くことになります。
そこで見たのは、本をめぐる数々の事件。
そして栞子が入院していた理由も明かされます。
大輔は古典の名作から各話の章タイトルがつけられた連作短編集「ビブリア古書堂の事件手帖」は、文学をテーマにしたビブリオ・ミステリ。
すべての短編が本をめぐるストーリーになっています。
人と人との間をつなぐ本もあれば、人の欲望をあおって破滅的な行動に走らせる本もあります。
そんな魔性をもった本を堪能できるのが本書。
優れたミステリというだけでなく、本好きの知的好奇心もしっかり満たしてくれる頼もしいシリーズです。
日常の中の事件
私たちの日常には、たくさんの事件が存在しています。
社会で生きている以上、誰にも人と人との摩擦があり、その中で不可解なことも起きてきます。
日々起きるすべてが事件といっても過言ではないのです。
そんな一見なんでもない風景から興味深い事実を抽出する技術は、ミステリの楽しみそのものです。
そのロジックの緻密さは、劇的な事件が続発する本格推理小説と比べても少しもひけをとりません。
あなたの周りに何気なく存在している知性の冒険を、「日常の謎」ミステリで見つけてみませんか?