人間は遠い昔から物語を愛してきました。
楽しい物語、悲しい物語、ちょっと怖い話……。
そんなさまざまな物語の中から、やがてジャンル小説と呼ばれる、あるテーマに特化した小説が生まれてきます。
恋愛もの、大河小説、SFやホラー小説まで、小説の歴史の中で多彩なジャンルが生まれました。
その支流のひとつがミステリ小説です。
現在多くの人に愛されているジャンル「ミステリ」は、どのように生まれ、成長してきたのでしょうか?
ここでちょっと、ミステリの歴史をひもといてみましょう。
歴史を知ることで、ミステリ小説がより味わい深いものになります。
ミステリ小説はいつ成立したの?
人類最初のミステリ小説は、いったいいつ誰が書いたのでしょうか。
実は、これはなかなか難しい問題です。
ミステリ小説は普通、「殺人事件」や「謎の解明」をテーマに据えた物語と定義されています。
ところが、この2つのテーマは大昔から好んで語られてきた文学のメイン・テーマ。
たとえば聖書やギリシャ神話、シェイクスピアの戯曲の中にも殺人事件やその犯人の捜索シーンが登場するものがあります。
殺人事件が起きる物語をすべてミステリ小説とすると、その中には膨大な数の物語が入ることになってしまうのです。
ギリシャ悲劇の「オイディプス王」を世界初のミステリ小説ととらえるユニークな意見もあります。
主人公の出生にかかわる謎、捜索、そして意外な犯人。
ミステリの道具立てがすべてそろっている、というわけです。
なるほど、前半部分の謎の提示から後半のどんでん返しへと続く一連の流れは現代のミステリ小説に通じるものがあるかもしれません。
また、古代中国には「公案もの」という文学のジャンルがありました。
公案とは、今でいう裁判記録のこと。
容疑者の証言や、犯人が現場に残した証拠、そこから導かれる結論が記録された公文書です。
この公案をもとに実際にあった事件を脚色した、現代の言葉でいう「法廷サスペンス」が当時の社会で人気を博していました。
この公案ものがミステリ小説の元祖ではないかという人もいます。
ですが、こういったものをすべてミステリ小説と呼ぶのは、やはり苦しいところでしょう。
それでは、私たちがよく知っている現代の形のミステリ小説はいつ生まれたのでしょうか。
最初のミステリ小説
私たちがもつミステリ小説のイメージは、殺人事件が起きて名探偵が登場、現場に残された手がかりからぴたりと犯人を当てる、そういったものです。
その意味では、名探偵が登場する物語こそミステリ小説といえそうです。
それでは歴史に登場した名探偵たちの中で、いちばん最初の「元祖名探偵」はいったい誰だったのでしょうか。
世界最初の探偵小説がエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」であったということは、多くの人が認めるところです。
著者ポーは19世紀のアメリカの作家。
「黒猫」「アッシャー家の崩壊」など誰もが知っている恐怖小説を書くいっぽうで、世界初の名探偵と呼ばれるオーギュスト・デュパンを創作しました。
「モルグ街の殺人」は1841年に発表された短編小説です。
この物語の中で、デュパンは語り手の「私」とともに怪事件の謎を解いてみせます。
密室で行われた殺人、探偵による犯人探し、そして名探偵の言動を記録する「語り手」の存在など、現代に通じるミステリ小説の条件がすべてそろった作品です。
19世紀は産業革命の時代。
理路整然とした論理的な考え方で謎を解く名探偵の登場は、この合理化の波と無縁ではなかったでしょう。
同時代の文豪チャールズ・ディケンズも「バーナビー・ラッジ」という作品の中でミステリ小説的なアプローチから殺人事件を扱い、こちらも「世界初の推理小説」といわれています。
もしかしたら、世界最初のミステリ小説を生んだのは19世紀という時代そのものだったのかもしれません。
20世紀を彩った名探偵たち
ポーが先鞭をつけた「名探偵が登場して物語の最後に殺人事件の謎を解く」形式のミステリ小説は、今も変わらず愛される名探偵たちを多数誕生させました。
名探偵の代名詞、シャーロック・ホームズが登場したのは1887年のことです。
コナン・ドイルのホームズもの第一作「緋色の研究」には、誤認逮捕をくりかえす警察を尻目に真犯人を見つけ出す、名探偵の典型がすでに描かれています。
さらに20世紀に入ると、さまざまなキャラクター性をもった名探偵たちが登場します。
見るからにぱっとしないキャラクターが鮮やかな推理を披露する、チェスタトンの「ブラウン神父」シリーズやフットレルの創作した天才肌の「思考機械」ことヴァン・ドゥーゼン教授、元祖安楽椅子探偵「隅の老人」(バロネス・オルツィ)など。
ホームズとは対照的に、典型的な名探偵タイプではない意外な人物たちが登場して百花繚乱の推理劇を繰り広げました。
名探偵だけではありません。
1905年にモーリス・ルブランの筆から誕生したアルセーヌ・ルパンは、犯罪者の立場でありながら名探偵の要素を濃く受け継ぎ、今も本格ミステリ・ファンから熱い支持を集めています。
本格ミステリの時代
20世紀の前半は、ミステリ小説がジャンルとして最高点に到達すべく上昇しながら、なお伸びしろを残していた最高の時代。
この時期はミステリ小説の黄金期といわれています。
1920年に「スタイルズ荘の怪事件」でデビューしたアガサ・クリスティ、「ベンスン殺人事件」(1926)のヴァン・ダインなど、現在まで読み継がれる巨匠たちがこの時期に登場しました。
さらに1929年には「ローマ帽子の謎」でエラリー・クイーン、1930年には「夜歩く」でジョン・ディクスン・カーがデビュー。
誰でも知っているミステリ作家のほとんどが、この時代に顔をそろえています。
まさに黄金期と呼ばれるにふさわしい、実り多き時代といえるでしょう。
この時期はまた、「本格」と呼ばれる特別なジャンルが生まれた年代でもあります。
本格とはその名の通り、ミステリ小説の中でもとりわけ厳密で本格的な種類の小説を指す言葉です。
誕生以来、ミステリは歴史を重ねるごとに進化してきました。
ほかのジャンルと違い、ミステリは「一度誰かが使ったトリックは二度と使えない」もの。
常に新しく進化することが運命づけられているのです。
そして多方向へと分化したミステリ小説の中から、ミステリの形をとりながらも奇をてらった方向に流れる新しいタイプのミステリが登場します。
たとえば、事件よりも主人公の性格を描くことに重点を置いたミステリは、ハードボイルドと呼ばれるサブジャンルを生みました。
そんな状況の中、あえて正統派のスタイルをとったミステリ作家に冠された名前が「本格」です。
読者に対してフェアであることにこだわったクイーン、古典的な背景の中に怜悧な論理力を融合させたカー、精緻な推理と独特のユーモアで英国の香気を伝えるドロシー・セイヤーズなど、本格の作家たちが現在に与えた影響ははかりしれません。
この時代はまさに、ミステリがもっとも成長した時代だったのです。
新本格の系譜
ミステリの源流から枝分かれした流れは、黄金時代を経てさまざまな方向へ進んでいきます。
主人公や語り手の職業を固定した「警察小説」や「スパイ小説」、事件そのものよりも雰囲気を重視したユーモア推理やコージー・ミステリなど、多数のサブジャンルが成立しました。
その中でも本格の味わいを受け継ぐものとして、正統派にひねりを加えたトリッキーな作風を得意とする一群の作家が現れます。
彼らを「新本格」と名付けたのは江戸川乱歩でした。
自身も読者の意表を突く名作を多数ものした乱歩と、遊び心あふれる作品群とは相性がよかったのかもしれません。
新本格は、本格の枠にとらわれない自由な発想が魅力。
新本格を代表する作家クリスチアナ・ブランドは数々のアンソロジーに収録された短編「ジェミニ・クリケット事件」で、青年と老人の会話だけでストーリーを進めるという独創的な手法を披露しました。
衝撃の結末も含め、一度は読みたい傑作です。
また、同時期に活躍したアントニー・バークリーもテクニカルな作品で知られる作家。
圧巻の多重解決もの「毒入りチョコレート事件」が有名ですが、「第二の銃弾」「ジャンピング・ジェニィ」などの作品も評価が高く、オススメです。
一方、「新本格」には別の意味もあります。
国内の作家に限った場合、新本格といえば1990年前後にデビューした一連の作家群を指します。
たとえば綾辻行人、有栖川有栖、法月倫太郎など。
古典的な本格を踏襲しながらも新しい世代のミステリを生み出したという意味で、そう呼ばれています。
また、トリックを重視する本格推理物に対して、社会問題を軸に据えた新しい形式という意味で、松本清張など社会派の作家を新本格と呼ぶこともあります。
ミステリ小説の現在
ミステリの誕生から今日に至る流れを概観してきました。
過去について知った後は、現在から未来へ目を向けてみましょう。
この大きな流れの向かう先は、どこなのでしょうか?
現在は多様化の時代。
ミステリ界でも、かつてない変化が起きています。
名探偵も活字から飛び出し、あるいは映画やドラマ、アニメなどの形で映像化され、あるいはゲームなど参加型のメディアに取り入れられて、活動の場を広げることになりました。
今では名探偵の活躍を読むだけでなく、自ら名探偵になることもできるのです。
1994年に発売されたスーパーファミコンのゲーム「かまいたちの夜」(シナリオ・我孫子武丸)は、その走りともいえるものでした。
夢中になってプレイしたという推理作家も多い名作です。
もし19世紀の名探偵たちがプレイしたら解けるかな……などと勝手に想像してみるのも楽しいものです。
名探偵は、昔からいわゆる「キャラが立った」存在。
その流れからすれば、現在のミステリ小説が、ときにキャラクター小説ととらえられるのも自然なことかもしれません。
法月倫太郎や有栖川有栖といった新本格の名探偵たちから、ライトノベルの個性的で軽やかな名探偵まで、今でも探偵の市場は大盛況。
メディアミックスが進んでキャラクターが可視化されたことが、さらなる名探偵の進化に一役買っているともいえるでしょう。
この進化の流れが続けば、いつか誰も考え付かないようなすごい名探偵が現れるかもしれません。
ミステリ小説は歴史に残る名作をたくさん生み出してきました。
きっとこれからも、私たちを楽しませてくれることでしょう。
古典作品を読んで歴史の重みを感じるのもよし、最新作でミステリ小説の進化を実感するのもまたよいものです。
先人たちの叡智の証である歴史を頭の片隅において、ミステリ小説を楽しみましょう!