近代の哲学ではドイツが主役といってもいい役割を果たしました。
その中でも、とくに後世に大きな影響を与えたのがイマヌエル・カントの哲学です。
カントから始まる一連のドイツ観念論は、その後の哲学の動きを決定づけたといえるほど、哲学史において重要な位置を占めています。
近代以降の哲学を学ぶ上では、カントはぜひおさえておきたい最重要人物なのです。
とはいえ、その著書はとても難解で、初めて哲学を学ぶ方が気軽に読めるものではありません。
そこでここでは、原著にあたる前に知っておきたい重要ポイントを解説します。
ポイントをおさえて、ストレスなく三批判書を読んでみましょう。
カントの三批判書について
まずは、ドイツ観念論の巨人カントについて少しだけご紹介します。
イマヌエル・カントは1724年生まれのドイツの思想家です。
北ドイツのケーニヒスベルグに生まれ、生涯をそこで過ごしました。
とても時間に正確で、町の人がカントの行動に合わせて自分の時計を調整したというエピソードで有名です。
貴族の子弟の家庭教師や私講師を経てケーニヒスベルグ大学で教鞭をとるようになり、在籍中に「純粋理性批判」をはじめとする著書を出版、これが多くの人の話題になって大学総長も務めるほどの著名人となっていきました。
カントのもとには大勢の若い学生が集まり、その中からフィヒテのようなドイツ観念論に続く思想家が現れてきたのですが、それはずっと後の話です。
そんなカントの思想を表現した代表作が「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」の三部作です。
どれも「批判」がついているので、まとめて「三批判書」と呼ばれています。
「批判」というと、何かに反対意見を出しているように聞こえますが、特に否定の意味はありません。
「批判」は原語では「Kritik」。
これは日本語における批判よりもむしろ研究する、究明するといった意味合いに近い言葉です。
つまりそれについてよく考える、吟味するといったニュアンスで使われているわけです。
この批判書は大きく見るとつながっていますが、それぞれ取り上げているテーマが違います。
「純粋理性批判」は世界のありようとそれをわたしたちがどうとらえているかについての話であり、「実践理性批判」は道徳や自由といった個人の心の中の問題、「判断力批判」はおもに芸術や美学の観点からみた総合的な判断力がテーマになっています。
全体の構成としては「純粋理性批判」で示された人間の(外界に対する)認識の能力をベースに「実践理性批判」で語られた(内面の動きとしての)道徳を「判断力批判」において統一する、といった流れになっています。
1冊1冊は独立しているのでどこから読んでも問題はありませんが、順序よく読むとより理解しやすくなります。
純粋理性批判
三批判書の中でもっとも早い時期に刊行された本書は、またカントの著作の中でもっとも大部の著書でもあります。
順序からいけば最初に読むべきなのですが、なにしろ、ハードカバー版で上下巻、文庫版に至っては細切れに5巻という、見ただけで尻込みしてしまうようなボリューム。
思わず後回しにしてしまう方も少なくないのではないでしょうか。
要点をポイント的に抜き書きした研究書も多数出ていますので、そちらから入るのもおすすめです。
ポイントからいえば、本書のツボは「認識論」です。
認識の能力にかかわる議論は現代では脳の問題とされ、認知科学ともいわれるようになっていますが、カントが純粋理性批判の中で述べている認識のシステムはもっと観念論的なものです。
そのシステムを説明するために、カントは「物自体」という言葉を発明しました。
通常わたしたちが物を知覚する場合、「見た目」や「手触り」や「におい」、食べられるものなら「味」といったさまざまな定義(これを「カテゴリー」といいます)を通して「これはリンゴである」とか「これはコップである」とか認識します。
ところが、この認識は人それぞれ、同じリンゴを認識しても「赤っぽい」「黄色っぽい」、「おいしい」「おいしくない」などなど、いろいろな差が生まれます。
そうではなく普遍的な「リンゴ」を指す言葉が「物自体」です。
「物自体」はわたしたちの目に見えている世界の、その背後にある決して知覚できないものです。
カントによれば、わたしたちが生きているこの世界「現象界」のほかに、「物自体」の普遍的な世界が存在しています。
世界が同時に2種類存在する(もちろん観念的な意味であって、パラレルワールドではありません)、こういった考え方を二元論といいます。
カントはこういった認識のシステムを解き明かすことにより、先天的な純粋理性の存在を証明しました。
純粋理性とは、現象界の事物を認識するためのツールのようなものです。
理論理性といわれることもあります。
実践理性批判
「物自体」の世界は知覚することはできないと、前項で解説しました。
しかし、もうひとつの理性「実践理性」は、この壁を越えることが可能な理性です。
「実践理性批判」は、道徳と自由について書かれた書です。
純粋理性批判の理路整然とした認識論に比べ、実践理性批判にはなんともいえない高揚感があります。
道徳という人間の美徳、そして自由をテーマとして扱っているためでしょう。
本書には、文学作品にもひけをとらないような表現が多々見受けられます。
カントの墓碑銘になった「長年にわたり、わが心を驚嘆の念で満たすものがある。わが上なる星空とわが内なる道徳律、これである」という驚くほど美しい言葉も、本書の最終章「結論」に掲げられたものです。
すでに述べたように本書のテーマは道徳と自由ですが、中でももっとも有名な言葉が以下の1文です。
「汝の意志の格率が、常に普遍的法則に妥当するように行為せよ」
カントの道徳論のすべてが、この1行に表現されています。
格率とは、各個人が「こうしたい」「こうすべき」「こうするのがいいと思う」と考える行動のルールです。
個人的なモラルといってもいいでしょう。
各人で決める目標ですから、性格と同じように人によって異なります。
いっぽう道徳とは、個人的ではないモラルのことです。
この文の中では「普遍的法則」にあたります。
つまりこの文は、個人的な行動のルールが本当に正しい道徳と一致するように振舞うべし、という定言命法です。
定言命法とは、唯一絶対的な命令のことです。
「こうしたければ、こうせよ」とか「こうだから、こうせよ」ではありません。
ただの「こうせよ」です。
道徳は格率のように、個人で違うものではありません。
万人にとって絶対的に正しい基準です。
そもそも道徳は個人が決めるものではありません。
不完全な存在である人間が、普遍的なものを作り出せるわけがないからです。
ここから、それはわたしたちが知る現象界ではなく、もうひとつの世界に存在しているということができます。
前の項で、このもうひとつの世界「物自体の世界」は理論理性では知覚することができないと述べました。
しかし、実践理性は普遍的な道徳を知ることができます。
ここに2種類の理性の違いがあります。
ところで、格率が道徳律に一致するとき、わたしたちは自分の意志で普遍的道徳的行動を行っていることになります。
そのとき、人は格率という人間を縛るルールから離れて自由になっているといえます。
カントのいう「自由に行動する」ことは「好き勝手に行動する」ことではありません。
好き勝手に行動する人は、自分の衝動や欲求に縛られています。
絶対的な正義である道徳律と一致する行動をとっている人は、そういった欲求からも、不正からも自由です。
これがカントの考える自由です。
実践理性批判の論調は、冷静な筆致の純粋理性批判に比べると、常にどこかに高揚感が感じられます。
三批判書の中でも稀有な傑作です。
判断力批判
三批判書の最後の1冊、判断力批判のメインテーマはなんと、美学です。
目次をみると「美学的判断」「趣味判断」「崇高」などなど、哲学書としては意外な言葉が続々と出てきます。
美学と聞くと、なんとなく「媚びへつらわないことが私の美学」のような、とてもパーソナルな意味を連想してしまいます。
ここまでシステマチックに理論を展開してきたカントに「美」という主観的な言葉は似合わないような気もしてきますが、そうではありません。
美学は哲学のひとつのジャンルとして古くから成立していました。
美しいかどうかというのは価値判断の重要な基準なので、「なぜ美しいのか」を突き詰めて考えることで、判断力の根拠やシステムを論じることができるのです。
カントが注目したのは、美を判定する際にはたらく判断力でした。
美は感じるものですが、「感じる」という心の動きはとても大切なものです。
何かの対象に対して美を感じるということは、美の概念がどこからかやってくるということです。
人は「美しいと感じよう」と意識して美を感じるわけではないので、その意味で、「美しさ」は人間の手の届かないところにあります。
道徳と同じように、現象界ではないところにある概念です。
それでも美を美として認識できるのは、現象界を認識できる実践理性のためです。
いっぽうで、美を感じる対象そのものは現象界に存在する個物であり、それを認識するのは理論理性です。
だから美的判断力は、理論理性と実践理性をつなげる大切な概念でもあるのです。
しかし、「判断力批判」は「純粋理性批判」「実践理性批判」に比べると、どこかマイナー感が否めません。
中には美学という言葉に聞きなれないものを感じてしまう方もいるので、好き嫌いは人によってわかれるところですが、三批判書をしめくくる1冊ですので、ここで頓挫するのはあまりに残念すぎます。
三批判書をキッチリしめくくるために、ぜひ挑戦してみてください。
まとめ
専門用語だらけの言葉づかいといい、いつ終わるかわからない長~い文章といい、とにかく読みにくいのがカントの著書。
読む前に何がいいたいのかを理解しておくことで、いきなり読むよりもずっとわかりやすくなります。
カントは三批判書以外にも、もっと読みやすく面白い著書もたくさん書いています。
中でも「永遠平和のために」などは、現代の感覚にもフィットする名著。
新訳も出てより読みやすくなっているのでぜひおすすめです。
ここでご紹介した内容は、カントの深遠な思想のほんの一部をお伝えしただけの、いわば予告編。
ぜひ本編も楽しんでみてください。