世には「哲学的な文学」というものがあります。
また哲学史の流れをさかのぼれば「文学的な哲学」に出会うこともできます。
哲学と文学とはとても近しい関係。
哲学を学んだ方なら誰でも、哲学の中に、一般的な「論理的」「理知的」「合理的」というイメージとは別の、命の叫びともいうべき何かを感じたことがあることでしょう。
人は生きていく中で傷つき、迷います。
確かな手がかりを探し求めるときに何を選ぶかは人によって違いますが、人が生きるうえで必要になるもの、という意味では文学と哲学は近接したジャンルです。
ただその表現方法はまったく違います。
現代風にいえば、ジャンルミックスということになるでしょうか。
ここでは、文学と哲学双方のジャンルのかかわりを見比べていきます。
哲学と文学をめぐる旅に、しばしお付き合いください。
2つのジャンルの区別
なにが哲学でなにが文学か、という線引きの基準として、ここでは図書館で使用されている日本十進分類法を適用したいと思います。
十進分類法は3桁の数字で本のジャンルを表したもので、10個の大まかな区分とさらにその下の細目分類とで成り立っています。
細かく分類する場合は小数点以下を記載することもあります。
哲学は1で始まる「哲学・宗教」のジャンルに入っています。
哲学はすべての学のもとになった学。
そのため日本十進分類法では二番目に早い番号が振られています。
ちなみに一番若い番号の0は「総記」で、百科事典や多岐にわたる雑学、そのほか分類できないものがここに入れられています。
哲学は実質上最初に登場するジャンルといっていいでしょう。
いっぽう文学に割り振られた番号は「9」。
分類上最後の番号になります。
このように十進分類法では、哲学と文学はもっとも遠く離れたジャンルということになります。
この2つのジャンルの立ち位置を象徴しているかのようで、なかなか興味深いものです。
分類番号は、その作品がどういったものかを示す指標のひとつ。
絶対的な区分ではありませんが、「哲学なのか?」「文学なのか?」と迷うような作品にひとつの解答を示してくれます。
戯曲というスタイル
哲学が誕生したばかりの古代、その学問には具体的な名前がありませんでした。
古代ギリシャでは、現在では自然科学に属する天文学や数学、物理学も哲学に数えられていました。
哲学がはっきりと「人間を研究する学」になっていくのは、ソクラテス登場以降です。
そのソクラテスは書物を1冊も残さなかったため、弟子たちが在りし日の師匠の姿を伝えることでその思想を後世に残しました。
その際、よく用いられた方法が戯曲です。
もともと、古代ギリシャの文化人たちは詩や演劇の形で文芸活動をしていました。
小説という形式がまだなかったのです。
そのうえソクラテスが哲学に臨むスタイルは、対話を通して真実を引き出す「ディアレクティケー(問答法)」だったので、ソクラテスの思想を伝えるための手段は自然と戯曲に限られてきました。
中でもプラトンの諸作品は文学的にも評価が高く、ソクラテスの刑死を感動的に描いた「パイドン」は「泣ける哲学書」という不思議なキャッチフレーズを得ています。
プラトンの作品はすべて、分類番号でいうと131になっています。
131というのは哲学、その中でも古代ギリシャの哲学を指します。
同じ古代ギリシャの戯曲でも、たとえば「アガメムノン」「オイディプス王」などいわゆるギリシャ悲劇は991(文学・戯曲)に入っています。
スタイルは戯曲であっても、プラトンの場合は物語性・娯楽性よりも思想的な内容が重視されたのでしょう。
歴史がくだり、小説という手法が確立された後でも、戯曲というスタイルはなくなりませんでした。
たとえばドイツ観念論の思想家フィヒテは、著書「人間の使命」の中で「私」と「霊」による対話という戯曲のスタイルを取り込んだ表現を使用しています。
また、当然のことながら娯楽という意味での戯曲の存在意義は大きく、哲学への興味をかきたてるためにこのスタイルが使用されるケースもあります。
現代の劇作家ジャン・クロード・ブリスヴィルが書いた「デカルトさんとパスカルくん」は、近世フランスの二大思想家デカルトとパスカルの架空の問答を描いたユニークな作品です。
内容は2人の思想についてですが、この作品の分類番号は952。
文学(戯曲)に入っています。
内容がほぼ哲学であるのに文学に分類されているのは、やはり娯楽としての意味合いが高いということでしょう。
小説と哲学
冒頭にも述べましたが、小説と哲学は表現の違いこそあれ根本的には同じ欲求から生まれています。
「人間とは何か?」「人生とは?」「世界とは?」「愛とは?」そういった疑問のほとんどが、文学にも哲学にもなりえます。
小説と哲学との差は、大きくいえばストーリーがあるかないかということです。
難解な思想にストーリーをもたせてわかりやすくするという手法は、昔からとられてきました。
たとえばルソーの「エミール」は、少年エミールが生まれたときから大人になるまでの過程を描いた小説的なスタイルの教育論です。
最近は、「まんがで読む××」のように、難解なものをわかりやすいスタイルでひもといていくスタイルが人気です。
哲学でいえばヨースタイン・ゴルデルの「ソフィーの世界」が代表といえるでしょう。
ちなみに分類番号でみると「エミール」は135で哲学ですが、「ソフィーの世界」は949、文学・小説です。
自分の思想を示すための小説と、他の人の思想を紹介する目的の小説とでは趣きが違ってくるというひとつの例です。
哲学がストーリーをもつのは多くの場合意図的な操作ですが、文学が哲学に近くなるのはむしろ自然のはたらきに近いものがあります。
近代のドイツには思想家と文学者の境界線に立つ作家がたくさんいました。
ドイツを代表する文豪ゲーテもそのひとり。
哲学者ではありませんが、「ファウスト」「若きウェルテルの悩み」といった代表作は人間の弱さについて考えさせられる内容で、哲学書にも負けない静謐な深みが表現されています。
この時期のドイツは「ドイツロマン主義」といわれる文芸運動の真っただ中でした。
ロマン派を代表するノヴァーリスやヘルダーリンの作品には、思索的な雰囲気が満ちています。
近代以降でも、たとえばカフカはドイツ文学だけでなく哲学・思想に入れられることもあります。
また、小説と哲学よりもさらに区別しづらいのがエッセイと哲学です。
エッセイの源泉はモンテーニュの「エセー」ですが、実はこの作品は954(文学・エッセイ)に入っています。
哲学史を学ぶと当たり前のように「思想家」として登場するにもかかわらず、モンテーニュは分類の上では「文学者」なのです。
ちょっと不思議な話ですね。
ニーチェとサルトル
人生そのものがひとつの哲学になっている、そんな人がときどきいます。
そんな人には、哲学と小説というスタイルの違いはさほど意味がありません。
19世紀後半の思想家ニーチェもその1人です。
ニーチェは美学や古典文学、音楽などの芸術論にも造詣が深く、非常にセンシティブな作品を残しました。
代表作「ツァラトゥストラはかく語りき」は、分類は134(哲学)ですがスタイルとしては完全に小説です。
ニーチェの言葉は現代でもたくさんの小説に取り入れられています。
ニーチェの思想には「神は死んだ」「永劫回帰」「超人」など、理解しやすく覚えやすいフレーズがたくさんありますが、それが文学という形に取り込みやすいのでしょう。
文学との親和性が非常に高いというのは、ニーチェ自身が文学に近いところにいるという根拠のひとつといえます。
もう1人、文学と哲学をボーダーレスに行き来した人としてサルトルを挙げたいと思います。
サルトルは自らの思想を、論文だけでなく小説や戯曲の形で表現しました。
十進分類法による分類をみても、主著のうち「嘔吐」は953、「革命か反抗か」は954、そして「実存主義とは何か」が135と見事にバラバラ。
図書館でサルトルの著書を読みたい、と思ったら、あちこちの書棚を歩き回らなければいけないという困った人なのです。
サルトルは思想家というよりは社会活動家というほうがふさわしい、行動の人でした。
彼の思想フランス実存主義は、人間の意志を何より優先する自由の哲学です。
そんなサルトルには、文学と哲学との間に区別をつけないフリースタイルがよく似合います。
おそらくサルトルには、ジャンルが文学か哲学かなどという瑣末なことはどうでもよかったのでしょう。
自分の信じることを行動として示す、哲学者という狭い枠から外れたサルトルのスタイルは、今も多くの人を魅了してやみません。
まとめ
哲学を学ぶ理由は人によってさまざまです。
論理的なスタイルを好む方もいれば、自分を支えてくれる言葉を探す方もいます。
今回取り上げた「文学の形をとった哲学」は、文系の学問を好む方へのひとつの提案です。
読みやすさと深みを兼ね備えたボーダーレスな哲学を、ぜひお楽しみください。