ミステリのサブジャンルとして「歴史ミステリ」と呼ばれるジャンルがあります。
歴史小説とミステリ小説の魅力を両方備えた歴史ミステリは、ミステリファンはもちろん、歴史小説が好きな方にも人気。
一石二鳥の魅力をもった、いまオススメのサブジャンルです。
歴史ミステリには2つの意味があります。
ひとつは、過去に起きた歴史的な事件について現代の探偵が推理するもの。
たとえば、有名な邪馬台国論争がこれにあたります。
もうひとつは、過去を舞台にした歴史小説にミステリの要素をプラスしたものです。
日本でいうところの捕り物帳のような作風が、歴史ミステリといえるでしょう。
実際に森村誠一、笹沢左保、松本清張といった巨匠たちが現代もののミステリと並行して時代小説を書いています。
どんな時代であっても、謎解きの面白さは同じ。
むしろ、現代的な科学捜査を駆使した推理とはまた違う、純粋なロジックの面白さを味わうことができます。
目次
現代から過去の事件を推理する小説
「源義経はモンゴルに渡ってジンギスカンになった」「本能寺の変は明智光秀の単独犯行ではなかった」などなど……。
歴史に仮説はつきものです。
歴史の闇に秘められた真相を、推理によって導き出すのが歴史ミステリの世界。
ときにはトンデモ説もありますが、飛び抜けた説ほど面白いもの。
学問的な視野にとらわれない自由な視点で見た歴史からは、思いもよらない意外な説が次々飛び出します。
学校で習う歴史からは想像できない豊かな世界に、きっと驚かされるでしょう。
なお、広義の歴史ミステリには、歴史的事実を手がかりとして使った「ダヴィンチ・コード」などの作品も入ります。
ウンチクも楽しい、こんな作品もまた歴史の魅力を伝えるミステリといえるでしょう。
時の娘(ジョセフィン・テイ)
甥を殺害し、王座を奪ったイングランドの王リチャード3世。
極悪非道の王として知られるリチャード3世は、本当に伝えられている通りの悪者だったのでしょうか?
本書は、英国の歴史に必ず出てくる悪役を捜査する警察官の物語です。
主人公のグラント警部は「ロウソクのために1シリングを」など、ジョセフィン・テイのほかの作品でも活躍しているシリーズキャラクター。
犯人を追跡中、工事中の道路の穴に落ち両足を骨折したグラントは、入院中暇を持て余していました。
そんなとき、女友達にすすめられて始めたのが歴史の研究。
といっても、根っからの警官であるグラントですから普通に研究するわけではありません。
彼はあくまで警官としてのスタイルで、甥殺しの嫌疑をかけられたリチャード3世の真実を探っていきます。
もちろん、歴史上の人物に直接聞き込みをしたり科学的な捜査を行ったりはできないので、推理の根拠は昔の文献にあることだけ。
すべては頭の中だけで展開されていきます。
現代の警察の手法で、歴史上の謎は解けるのでしょうか?
あらゆる意味でユニークな、文字通り歴史的な一冊です。
エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件(ジョン・ディクスン・カー)
数々の名トリックとゴシック感あふれるストーリーで今も人気を誇る古典ミステリの雄、カーが実際の事件に挑んだ歴史ミステリです。
時は17世紀。
判事エドマンド・ゴドフリー卿が失踪、その後遺体となって発見されます。
この史実の殺人事件に対して、カーが独自の推理を展開します。
当時の社会は宗教改革のまっただなか。
陰謀が普通に行われていた暗い時代です。
そんな時代に起きた殺人事件は数百年の時を経ても生々しく迫ってきます。
カーの筆は史実をもとにしながらもときに空想を働かせ、臨場感たっぷりの17世紀ロンドンを再現しました。
歴史小説の中にもカーらしい本格推理小説のテイストを盛り込んだ、興趣に富んだ一冊です。
すでに歴史の彼方に消えたこの事件、真相はいまだにわかりません。
だからこそ、歴史の闇に沈んだ事件に光を当て、ひとつの解答を示したカーの功績は大きかったといえるでしょう。
歴史はバーで作られる(鯨統一郎)
「邪馬台国はどこですか?」など、歴史をテーマにした作品を多く発表している鯨統一郎。
彼が得意とするのは、バーで出会った歴史好きたちが歴史論争をするうちに意外な結論に達するという「バー・ミステリ」のスタイルです。
本書もそんな著者らしい、歴史の謎を扱った連作短編集です。
都内某所にひっそりとたたずむバー<シベール>。
語り手の「僕」こと安田学は、恩師である歴史学者喜多川猛先生とともにこの店を訪れます。
店にいたのは美人バーテンダーのミサキさんと、謎の歴史学者村木老人。
自然に歴史の話が始まったものの、村木老人とミサキさんが語る説は常識はずれの珍説ばかりです。
「この老人、本当に歴史学者なんだろうか?」
疑いはじめる僕ですが、いつの間にか相手のペースにのせられて……?
ネアンデルタール人から八百屋お七まで、常識の逆をつく説を論証してみせた、知的な遊び心あふれる楽しい歴史ミステリ。
テーマにちなんで毎回登場するカクテルとおつまみに、知的好奇心だけでなく食欲までそそられてしまいます。
QED 百人一首の呪(高田崇史)
本書は、狭義の歴史ミステリとは少し趣を異にしています。
歴史的事件、すなわち過去に終わってしまった事件を検証する歴史ミステリと違い、本書で扱われている事件はいま捜査中の事件。
現在進行形の殺人事件と並行して百人一首に秘められた謎が解読されていくという、2つの謎解きを重ねた構造になっているのです。
会社社長が自宅で殺害された事件。
被害者は1枚のカルタ札をしっかりと握っていました。
百人一首の1枚が、事件にどう関係してくるのでしょうか?
私たちにとって身近な存在である百人一首が、探偵役の薬剤師・桑原崇が読み解くことでまったく新しい意味を持ってきます。
膨大な歴史のウンチクと、目からウロコの新解釈はまさに圧巻。
不可能犯罪と歴史の謎、どちらも鮮やかに解いてみせる著者の力量には驚かされます。
著者はこの作品で第9回メフィスト賞を受賞。
誰もが納得する面白さです。
過去を舞台にその時代の名探偵が謎を解く小説
エンタテインメントとしての時代小説の楽しさがそのまま伝わるのが、歴史上の人物が活躍する「歴史小説としての歴史ミステリ」。
その時代の風物を盛り込んで過去を再現、その中で事件の解決を探っていきます。
古今東西の歴史をひもとき、今はもう見られない世界をどこまでリアルに描けるかが面白さのカギです。
また、科学技術が発達していない過去の世界で探偵たちがどのように操作に取り組むかもポイント。
普遍の論理性が問われるだけに、厳しくもあり興味深くもあるジャンルです。
薔薇の名前(ウンベルト・エーコ)
数々の賞に輝いた、不朽のベストセラーです。
中世のヨーロッパをリアリティ豊かに描きだし、各界の絶賛を浴びました。
主人公の若き修道僧と師匠が僧院内で起きたスキャンダラスな連続殺人に挑む大作です。
グロテスクな見立て殺人を軸に据えながら、修道院内の閉鎖的な人間関係やアリストテレスの幻の書にまつわる謎をからめて、重層的な物語を作り出しました。
政変や疫病の流行、宗教裁判などヨーロッパ史上もっとも暗い時代と呼ばれた中世。
外部の人間を拒絶するような修道院のシステムは、そのまま中世の社会に当てはまります。
その中で起きた殺人事件は、まさに中世社会のひずみを映し出したものといえます。
本書は、修道院という狭い社会で起きた凄惨な事件を通してひとつの時代の終焉を描いた、中世史そのものといってもいい小説なのです。
最後のシーンまで、一度読んだら忘れられない読後感を残します。
元年春之祭(リク・シュウキ)
この物語の時代はなんと、今から2000年以上昔の紀元前100年。
中国の壮大な歴史を感じさせる設定です。
古代中国・前漢時代。国家的な祭儀を司る観一族が春の祭りを準備している最中、殺人事件が起きます。
たまたまその地に滞在していた豪族の娘・於陵葵と、観家の少女・観露申は消えた犯人を捜すべく行動を開始するのですが……?
古代中国というなじみの薄い社会を扱っているとはいえ、本作は決してとっつきにくい難解なものではありません。
前漢の時代の元気少女たちが殺人事件を解決すべく奮闘する姿は、リーダビリティ抜群。
意外にも、ラノベ感覚で読める作品なのです。
また、本書の著者は「日本の新本格が大好き」と公言する本格派でもあります。
本格推理のスタイルそのままに読者への挑戦状も挟まれた、新感覚の本格歴史ミステリです。
平安京の検屍官(川田弥一郎)
医療ミステリの名作で乱歩賞を受賞した著者が、その経験を活かして今までにない作品を書き上げました。
本書は歴史と医学が結びついた異色のミステリ。
平安時代を舞台に、辣腕検非違使が殺人事件を解決する連作短編集です。
検非違使とは、京の治安維持のために置かれた官職のことです。
警察に相当する部署で、芥川龍之介の「藪の中」で捜査にあたっていたのも検非違使です。
本書の主人公・坂上元継は検非違使として日々京の都で犯罪捜査にあたっていました。
そんなときに出会ったのが、どんな香りもかぎ分ける香のエキスパート・顕子。
2人はコンビを組み、都を揺るがす大事件に立ち向かっていきます。
遺体の検分(現代でいうところの検死)や、お香の香りを手掛かりにした推理は、まるで古代の科学捜査といったところ。
物忌みや方違えなど平安時代らしい事情も盛り込まれ、時代小説の面白さと科学捜査の楽しさが両方味わえるお得な一冊になっています。
歴史ミステリの楽しみ
終わりに、歴史ミステリを楽しむために、ぜひオススメしたい楽しい作品を1本ご紹介したいと思います。
それはエリザベス・ピーターズの「リチャード三世『殺人』事件」。
「殺人」がカギカッコに入っている点からおわかりになるかもしれませんが、この作品はフェイク・ミステリ。
実際の殺人事件ではなく、登場人物たちが殺されるふりをするストーリーなのです。
厳密なミステリの範疇に入れるわけにはいきませんが、この作品にこめられた歴史ミステリへの愛はぜひ、特記しておきたいものです。
リチャード3世は前項で触れた通り、悪逆非道の王としてイギリスの歴史に汚点を残している人物です。
ところがこのリチャード3世、意外にも一部でたいへんな人気を誇る人物でもあるのです。
ファンは自ら「リカーディアン」と自称し、リチャード3世を愛するあまりコスプレパーティーまで開催してしまうほどのマニアぶり。
本書はそんなコスプレパーティーで、殺人事件(を、模した嫌がらせ事件)が続発する物語です。
登場人物はリチャード3世が好きすぎる変な人ばかり!
そんな楽しい物語の中から、他人にドン引きされるくらいの歴史好きならきっと共感できる名セリフを引用してこの項を終えたいと思います。
「まあ、ここらの人間は、リチャード王のこととなるとみんなおかしくなるんだけどさ。いやはや、まともじゃねえや!」