[育児体験談]大阪府 25歳女性 ナナコさん
出産前、余裕だった私
「女の子は楽だよ」
妊娠中お腹の子の性別が分かったとき、母は笑顔でそう言いました。
私が子供の頃手のかからない子だったからでした。
おとなしくて、よく寝て、放っておいても一人でずっと遊んでいられる子だったそうです。
「そうか、それなら私でもなんとかなるかな」と少しほっとしていました。
出産、かわいい我が子に順調な育児
それから数ヵ月、初産にしては比較的安産で、無事に元気な女の子を出産することができました。
我が子はびっくりする程可愛くて、何時間見ていても飽きない、本当に愛しい存在です。
2時間おきの授乳も、毎回オムツから漏れるうんちの処理も大変ではあったけど、どれも大体想定内でした。
妊娠中に10キロ増えた体重も3ヶ月でもとに戻り、子供の成長を楽しむ余裕のあるママになれる気がしていました。
1歳、思い通りに行かなくなった育児
1歳を過ぎ歩けるようになった頃から、それまでとは違うストレスを感じるようになったのです。
行動範囲が広がり、日々いたずらのレベルを更新し、自我が芽生え反抗するようになりました。毎回トイレの中までついてくるし、オムツ交換も泣いて暴れて一苦労です。
外へ連れ出せば、用事の無い近所の家や病院に入ろうとし、止めると延々と泣き叫びました。
「女の子は楽だよ」
全然話が違う、と毎日思いました。実家も遠く、主人にすらなつかない人見知りの激しい娘を、安心して預けられる相手もいませんでした。
そんな状況にますます追い詰められます。
毎日イライラして、子供にぶつけられないストレスを主人にぶつけるようになりました。
娘が手のかかる子になったのは自分のせいだと落ち込んだり、人のせいにしたりの繰り返しでした。育児はつらい、その頃の私はただただそう思っていました。
2歳、コミュニケーションが取れるようになった
状況が少し変わったのは、娘が2歳になる少し前でした。
徐々に言葉でのコミュニケーションがとれるようになってきたのです。通じる言葉は僅かでしたが、私達にとっては大きな進歩でした。
言葉の発達が遅れぎみだったこともあり、娘が「行こ」と言って私の手を引っ張るだけでも、
涙が出るほど嬉しかったです。
言葉でコミュニケーションがとれるようになったことで、今までのストレスが減り、気持ちに少し余裕が出てきました。
まとめ
大人になると、経験や知恵である程度トラブルを回避できるようになります。
そして社会でそれなりに生きていけるようになり、自分は成長したと自信が持てるようになりました。しかし、結局本質は変わっていなかったのです。
育児という、理不尽な相手とひたすら向き合う日々の中では、自分の弱さと向き合わざるを得ませんでした。
この先も育児の悩みはつきないでしょう。でもそれは、子供と一緒に親が成長できるチャンスです。
育児は過酷です。
しかし、それは子供に恵まれた者に与えられた尊い権利。人生の中でのほんの数年間、けれどその数年間の努力が、娘と私の一生の宝になると信じて、日々を過ごしていきたいです。