近世哲学とは?哲学史の華・近世哲学を彩る哲学者たちの思想と生涯

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現代の哲学者ホワイトヘッドは、17世紀を「天才の世紀」と呼びました。

この17世紀を中心に、その前後(16世紀のなかばから18世紀なかば)の時代を近世といいます。

この時代に、多くの後世に残る思想が生まれました。

哲学史を概観するうえでも、とくに興味深い時代です。

近世の思想界を華やかに彩った天才たちの思想と生涯をみてみましょう。

近世という時代

哲学史上、近世は特別な時代と考えられています。

それまでの哲学とはまったく価値感の違う思想、誰も考えなかったような新しい発想が次々と生まれた背景には、近世という時代がもっていた特別な事情があります。

そこをおさえれば、どうして近世が特別な時代だったかを理解するのに役立つに違いありません。

さっそく、この当時の世相をみていきましょう。

ルターの宗教改革から始まった近世は、哲学の復権の時代ともいえます。

これより前の時代、中世では、哲学は神学の正当性を示すための道具として位置付けられていました。

学問が教会中心だった中世から脱して、神学の権威におさえつけられることなく自由な発想をすることができるようになった、それが近世という時代です。

また、科学が発展したことによって、哲学がもともともっていた合理性がさらにクローズアップされることになりました。

この時期の思想家は、同時に数学者や物理学者もかねているのが特徴。

科学が知識人の心に大いに刺激を与えていたということを物語っています。

デカルトはあらゆるものを疑うことで「われ思う、ゆえにわれあり」という定理を導き出した人ですが、その手法をみずから「方法的懐疑」と呼んでいます。

これは思想というよりもむしろ科学や物理の考え方です。

魂や実存のような超自然的なことがらに対して、あえて科学の方法論で向き合ってみる、そんな考え方が生まれたのも科学が発展した近世ならではのことだったのです。

大陸合理論

当時、学問の先進国はフランスでした。

デカルトやパスカルが活躍したのは17世紀の中ごろですが、当時のパリには文学や哲学を語り合うサロンがたくさんあり、上流階級の社交場になっていました。

当時のサロンの様子は、有名なアレクサンドル・デュマの小説「ダルタニヤン物語」などで読むことができます。

そんなフランスを中心としてできあがったのが、大陸合理論と呼ばれる思想です。

近代哲学の祖・デカルトから始まるこの思想は、その後のヨーロッパ哲学の方向を決定するほどの影響を後世に与えました。

合理の理とは、理論の理であると同時に理性の導きのことでもあります。

人間がもって生まれた理性を最優先に考えるのが、大陸合理論です。

デカルト

近世のみならず、哲学史全体を通しても最重要人物といえるデカルト。

思考する自分を「これ以上疑いえない、確実なもの」として世界の中心に置く思想「われ思う、ゆえにわれあり(コギト・エルゴ・スム)」は、既存の哲学を根底から覆しました。

彼は人が生まれつきもっている理性や認識の力を生得観念と呼びました。

この生得観念をもっているということが、すなわち合理論です。

デカルトの波乱万丈の人生は、思想を抜きにしてもとても興味深いものです。

生まれ故郷のフランスからオランダへと遍歴したり、ドイツで軍隊に入ったり、まるでデュマの小説の登場人物のよう。

デカルトは自らの思想について「神秘的な夢をみてひらめいた」といっています。

いかにも天才らしい言葉です。

スピノザ

スピノザはオランダの人です。

汎神論という過激思想(あくまで宗教学的にみたら、という意味ですが)を唱えたために教会から破門されました。

汎神論とは、すべてのものに神が宿るという考え方です。

スピノザは無神論者ではないので神の存在自体は信じていましたが、人の姿をした神を信じられず、むしろ神はありとあらゆる被造物のすべてにちょっとずつ姿を見せていると考えました。

わたしたち八百万の神々を信仰する日本人には抵抗なく受け入れられる考え方ですが、スピノザが所属するユダヤ教会では、形のない神は不敬きわまりないと非難されました。

スピノザは、この世界は神によってあらかじめ筋書きが決められていると考えました。

その中では、ひとりひとりに役割が与えられているはずです。

その役割を探ることが幸せであるというのがスピノザの思想です。

ちょっと変わった合理論といえます。

ライプニッツ

ドイツの哲学者ライプニッツは、この時代の文化人によくあることですが、数学者でありまた政治家でもあります。

人との交流が好きで、文通相手が千人以上いたと伝えられています。

もし現代に生まれていたら、SNSに夢中になっていたことでしょう。

ライプニッツの思想の中心はモナドです。

モナドとはそれ以上分割できない最小単位のこと。

つまり原子論です。

原子論といっても、ライプニッツは哲学者なので扱うのは精神的なものです。

目に見えない観念のようなものに対して、使う言葉なのです。

このモナドが調和してできあがるのが今ある世界です。

モナドは自分の意志で動いているわけではなく、あらかじめ作者がいて、その設計によって動いています。

この設計者がいわゆる神様ということになります。

神が決めたのならそれは必ずよい結果になるに違いない、「未来はきっと今よりよくなる」とライプニッツは考えました。

そのため、哲学史最大のオプティミスト(楽観主義)といわれています。

イギリス経験論

大陸合理論に対して、イギリスで生まれた正反対の考え方をイギリス経験論といいます。

生まれながらにもっている理性や知性を思考の根底に置く大陸合理論と違い、イギリス経験論は生まれつき与えられたものなどないと主張します。

人は生まれたときには何もなく、その後の経験から自分を作り上げていく、というのがイギリス経験論の考え方です。

この学派には、ロックから始まるバークリー、ヒュームという流れのほか、実証主義を唱えたベーコンがいます。

ベーコン

ベーコンについては、思想家というよりも科学者といったほうがいいかもしれません。

それは、彼が思索に用いた方法がとても科学的だったからです。

ベーコンは「知識は力である」といいました。

正しい知識がなければ、人は迷信を恐れ間違ったことをしてしまいます。

経験によって正しい知識を身につけることで、人は幸せになれるとベーコンは考えていました。

科学の世界では、科学者が実験を繰り返して定理を見つけ出します。

人生もそのように、経験を積み重ねて真理を見つけることが大事とベーコンはいいます。

この考え方からイギリス経験論は始まりました。

ベーコンは肺炎で亡くなりましたが、それは雪が鶏の保存に有効であることを証明しようと寒い戸外で実験に励んでいたことが原因でした。

最後まで実験にこだわったベーコンは、まさしく経験主義を実践した人といえるでしょう。

ロック

「白紙の心」というのがロックの残した名言です。

人の心は生まれたときには何も書いていない白紙のような状態で、人として経験を重ねていくことでそこに文字が書き込まれ、性格が形成されていくという意味です。

日本語でいえば「氏より育ち」といったところでしょうか。

ロックは生得観念を認めない点で、大陸合理論と対立しています。

大陸合理論では「生まれつきもっている」とされる理性も認識能力も、ロックにいわせれば経験によって学ぶということになります。

いわゆる「ピンとくる」ような、自分の内面から湧き出てくるものは、経験論では存在しません。

ですが、わたしたちはたくさんの経験の中から取捨選択することができます。

生得観念はもともと与えられているものであり自分で変えることはできませんが、経験はそこから各人が違う結論を引き出すこともできます。

経験論とは、生得観念というルールに縛られない自由な哲学でもあるのです。

バークリー

バークリーの考え方に触れた人は、たいてい驚きます。

なにしろ、知覚できないものは存在しないというのですから!

バークリーの考え方では、物はわたしたちが見ることで存在するのです。

もし認識できなければ、それはないということになります。

経験を主軸に置くイギリス経験論らしい考え方ですが、それでは、本当に誰も見ていないものは存在していないのでしょうか。

たとえば、人が簡単にのぼれないくらい高い山の頂上にある雪はどうでしょう。

深い森の中にある木はどうでしょう。

誰にも見られていなくても、それらはそこに行けばあります。

見た瞬間に現れたとでもいうのでしょうか?

いいえ、それらはずっと前から存在しています。

なぜなら、人が行けないような場所にあるものは、神様が見ているからです。

バークリーの経験論はあまりにも極端で、わたしたちの感覚では、受け入れるのは難しいことです。

しかし、発想の転換という意味ではバークリーの経験論は群を抜いています。

固くなった頭をやわらかくするにはもってこいの思想です。

モラリスト

この時期の哲学者のすべてが大陸合理論とイギリス経験論に分けられるわけではありません。

どちらにも分類できないオリジナルな思想を披露した人もいます。

ここでは、そんな「どちらでもない派」の2人をご紹介します。

モンテーニュ

「はじめてエッセイを書いた人」として記憶している方も多いと思います。

モンテーニュは箴言や体験談のようなわかりやすい形で自らの考えを伝えました。

エッセイ風とはいっても、その内容は決して軽いものではありません。

なにしろ、「エセー」は上中下の3巻本になってしまうくらいのボリュームです。

内容も濃く、いくら読みやすいといっても、それなりの覚悟が要ります。

「エセー」は、長年政治に関わり、市長まで務めたモンテーニュが引退後に書いたものです。

そこには多くの市民をみてきたモンテーニュの温かいまなざしがあります。

ときにはちょっと辛辣、ときにはユーモラスに、モンテーニュが独特の語り口で自らの考えを語る「エセー」は、なんだか親戚のおじさんが語る話のよう。

哲学は難しい言葉を使って難しい観念を語るものばかりではありません。

人々の生活に密着した「人生哲学」も、人が生きることを学ぶための大切な学問なのです。

パスカル

「人間は考える葦である」で有名なパスカルは、数学をはじめ理系の技術に精通した人でした。

世界で初めて計算機を発明したのも彼だといわれています。

そんな理系人間のパスカルですが、体が弱かったこともあり、宗教には人一倍の思い入れがあったようです。

エッセイ風の著書「パンセ」の中でも「神は存在する」と明言し、いると考えるよりいないと考えるほうが確率的に損をするという、なんとも数学者らしい確率論で独自の宗教論を展開しています。

冒頭の言葉は「宇宙はその大きさによって私を包む。私は思考によって宇宙を包む」と続いています。

病弱でベッドで過ごすことが多かったというパスカル。

体は葦のように弱くても、その頭脳の中には、無限の宇宙が広がっていたに違いありません。

パスカルの思想には、宗教に根差した静謐な美しさがあります。

その文学的ともいえる美しさで、彼の思想は今も多くの人を魅了しています。

近現代へ

近世の哲学者たちの横顔を、ほんの少しだけご紹介しました。

彼らの思想は、本当はごく簡単なご紹介ではとてもお伝えしきれないほど深く広いものです。

興味をもたれた方はぜひ、原典にあたってみてください。

近世はとにかくいろいろな知性があふれていた時代。

そんな時代の雰囲気をわずかでも感じていただけたら幸いです。

さて、時代はこれから近現代へと移っていきます。

近代では、ドイツ観念論を中心にドイツの哲学者たちが活躍します。

この時代にはフランス革命やアメリカの独立運動があり、人々の価値観が大きく変わりました。

ニーチェやマルクスを経て現代に入ると、さらに多様な思想が次々と生まれます。

実存主義、構造主義とこちらも百花繚乱です。

今に至るまでの哲学の歴史は、大きく見るといまだに近世の影響を受け続けています。

二元論があり、認識論があり、実証主義が生まれた近世。

そのすべては現代のわたしたちへの贈り物となっているのです。

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