小説で親しむ哲学。思想と人間が同時に学べるおすすめの小説5選

哲学を学んでみたいけど、ちょっと難しそうで腰が引ける……そう思っている方はいませんか?

そんな方は、まずは哲学者の世界を楽しく描いた小説から哲学に親しんでみましょう。

小説なら気軽に読めるうえに、それだけ読むと理解が難しい思想も無理なく入ってきます。

初学者の方にぜひおすすめです。

ここでは、とくに読みやすく人気が高いジャンルとして古代ギリシャの哲学者と近代哲学の父・デカルトを描いた作品にスポットを当てました。

穏やかな地中海性気候のもと、芸術文化が花開いた古代ギリシャ時代は誰もが憧れる世界。

その古代ギリシャを舞台にした小説の中には、この時代を代表する哲学者ソクラテス、プラトン、アリストテレスを描いた作品もあります。

中でも個性的な楽しい作品をピックアップしてみました。

もう1つの人気ジャンルは17世紀の思想家デカルトに関するものです。

思想も生き方も飛びぬけて面白い人だけに、多くの作家がモチーフとして取り上げています。

多くの作品の中から、とくにユニークな2冊を選んでご紹介します。

饗宴 ソクラテス最後の事件/柳広司

紀元前の古代ギリシャでのこと。

アテナイの人ソクラテスは、悲劇作品コンテストで優勝した青年詩人アガトンにお祝いの宴会に招かれます。

やがて宴会が始まりますが、宴席に並んだ人たちは、昨夜からぶっ通しで飲み続けて既にいっぱいいっぱい。

そこで、酒を飲むかわりに各自が一席演説をして楽しむことにしようと決まります……

と、あらすじを語っただけでは、これはプラトンの「饗宴」のことだな、と思われることでしょう。

ところが、本書「饗宴」は哲学書ではなくミステリ小説なのです。

作者は、人気シリーズ「ジョーカー・ゲーム」で知られるミステリ作家・柳広司。

夏目漱石へのパスティーシュ「贋作『坊っちゃん』殺人事件」や山月記に新たな解釈を見出す「虎と月」など、二次創作的な手法を好んで用いる作家です。

それだけに、物語世界に入り込む描写は見事なもの。

本作でも古代のアテナイを詳細な描写で描いて、圧倒的なリアリティで読者を古代ギリシャに連れて行ってくれます。

ストーリーは、すぐに本家「饗宴」とはまったく違う方向へと展開していきます。

饗宴の出席者たちを狙うかのように起きる連続殺人、背後にちらつくピタゴラス教団の影。

アテナイの市民を恐怖におとしいれる連続殺人犯を、ソクラテスは見つけ出せるのでしょうか?

探偵ソクラテスの助手として語り手を務める、いわゆるワトソン役はクリトン。

プラトンの対話編「クリトン」「パイドン」を読んだ方ならご存知の、あのクリトンです。

なるほど、人柄からいってもソクラテスの幼馴染みという歴史的事実からいっても無理のない見事な人選に、思わず唸らされます。

またプラトンの対話編「ゴルギアス」の主要キャラクターであるカリクレスが登場したりもしますが、これもまた作者の意図なのです。

実は「ゴルギアス」の中でカリクレスが唱えた、ある有名な説がストーリーの鍵になっていて……。

あとは読んだ方だけのお楽しみ。

これ以上は書けませんが、思想までも推理の伏線にしてしまう作者の力量には驚かされるばかりです。

クレタ人のパラドックスやデモクリトスの原子論など、哲学史上重要な学説もさりげなく散りばめられ、これから勉強する方も、ある程度の哲学の知識をもっている方も楽しめる1冊です。

哲人アリストテレスの殺人推理/マーガレット・ドゥーディ

名探偵といえば、ソクラテスの孫弟子アリストテレスも負けてはいません。

時代は下って、アレキサンダー大王治世下のアテナイ。

当地に暮らす貴族の青年ステファノスは、父を亡くし母と病気の伯母を抱えて途方に暮れていました。

頼りにできるただ1人の相手、従兄弟のフィレモンは酒場の喧嘩から殺人を犯してしまい、現在国外逃亡中。

そんな時、町の有力者プータデスが自宅で殺害されるという大事件が起きます。

その犯人として指名手配されたのはフィレモンでした。

彼は病気の母親を見舞うため、こっそりとアテナイに戻ってきていたのです。

従兄弟の無実を信じてはいるものの、どうやってそれを証明すればいいのか、困ったステファノスは学問の師であるアリストテレスに相談にいきます。

アリストテレスはその当時アテナイ郊外のリュケイオンに学校を作り、若者たちの教育にあたっていました。

「謎を解くのが好きなんだ」

そういいながらステファノスから得た情報だけで推理を展開し、時に応じて自ら証拠探しに赴くアリストテレス。

その姿は現代の探偵ものにも見られるような知的でスタイリッシュな名探偵そのものです。

「論理学」の著者であり、三段論法の発明者でもあるアリストテレスは論理性の化身のようなもの。

まさしくミステリの探偵役にぴったりのキャラクターなのです。

また、古代ギリシャ特有の裁判システムを忠実に再現しながらも、現代的なわかりやすさを加えた圧巻の法廷シーンもみどころのひとつ。

スリリングな法廷シーンの間に挟まれる、主人公が無実の証拠を探してアテナイを奔走するパートもまた、古代ギリシャの風俗をリアリティたっぷりに映し出して魅力的です。

作者のマーガレット・ドゥーディは英文学を専攻するカナダの学者で、アリストテレスを主人公にしたシリーズを複数冊書いているそうです。

残念ながら翻訳はこの1冊しかありませんが、もっと読みたい作家の1人です。

午睡のあとプラトーンと/三枝和子

ソクラテスとアリストテレスが出てきたら、もちろんプラトンにも登場してもらわなければなりません。

プラトンはソクラテスの死後その思想を受け継ぎ、戯曲の形で後世に残しました。

その後半生ではアカデメイアに学園を開き、アリストテレスをはじめたくさんの弟子たちを育てています。

アカデメイアは世界初の大学で、その名前は今も大学を指す言葉アカデミーの語源として残っています。

そんなプラトンが登場する本書は、まるで夢のような、なんとも不思議な雰囲気に満ちた小説です。

語り手で主人公の「私」は、ギリシャに留学して哲学を学んでいる最中。

仲良しは、下宿先の隣に住む女子大生のソフィアです。

ある日の午後、私はふと思いつきます。

「そうだ、プラトンに会いに行こう」

ソフィアを誘い、午後の散歩に出かける私。

その背景はいつしか現代から古代のギリシャへと変わっていき、そして2人は古代のアテナイでプラトンと出会うことになるのでした。

本書は、SF風に言えばタイムスリップ譚ということになるのかもしれません。

しかし、その経過はあくまでもボーダーレス。

とくに劇的なことが起きるわけではなく、下宿を普通に出て歩いていたら、いつのまにか古代ギリシャにいるのです。

何となく古代のアテナイに行って、なにげなくプラトンと語り合い、なんでもなく帰ってくる。なんとも力の抜けたこの不思議さがたまりません。

まさしく午睡のような感覚が心地よく、肩の力を抜いて哲学を読みたい方におすすめです。

若い女性の2人連れらしく、「アリストテレスって本当にイケメンだったのかしら?」なんて話題が自然に出るところも楽しいものです。

快傑デカルト/デミトリ・ダヴィデンコ

タイトルからすでにインパクトありすぎの、デカルト一代記です。

哲学者といえば、真面目でかたいというイメージしかない方にとっては、本書は驚きでしょう。

なにしろ本書に登場するデカルトは、喧嘩っ早くて博打好き、いたるところで女性を誘惑する気まぐれな無頼漢なのですから!

実際デカルトの人生は、机に向かって沈思黙考するようなものではありませんでした。

パリの社交界で人気を博したと思ったら傭兵としてドイツを転戦、当時の秘密結社薔薇十字団の一員だったという噂まであります。

本書は、そんなデカルトの波乱万丈の人生を、ジャーナリストとして著名な著者がとにかくダイナミックな筆致で書き綴った傑作です。

ユーモアあふれる書き口に加えて、一般的な解説書や教科書には出てこないような、虚構と紙一重の掘り下げも本書の魅力。

たとえばデュマの小説「三銃士」にも登場する史実ラ・ロシェルの包囲戦に実はデカルトが参加していたというくだりなど、一般的な伝記ではまず出てきません。

「本当に?」と首をかしげてしまうようなところもありますが、なにしろ「快傑」ですから、何でもありなのです。

数学を愛し、女性を愛し、人生を愛したデカルト。

従来の思想とはまったく違う方法論で中世までの哲学の常識を打ち破った大胆さは、本書で描かれる豪胆な粋人の姿とぴったり重なります。

「われ思う、ゆえにわれあり」とは、自分の思うままに人生を送った人でなければ思いつくことができなかった言葉なのかもしれません。

デカルトが唯一無二の思想家であったことが、本書を読めば納得できます。

ただし、下ネタも多いので女性におすすめするときにはご注意を。

デカルトさんとパスカルくん/ジャン・クロード・ブリスヴィル

フランスの近世哲学を代表する2冊をもし選べといわれたら、おそらくトップにくるのがデカルトの「方法序説」とパスカルの「パンセ」でしょう。

そんなフランス思想界のツートップ・デカルトとパスカルは、活躍した時期も場所もちょっとずつずれながらほぼ重なっている同時代人同士です。

彼らが共通の友人を介して、パリの僧院で会談をもったのは歴史上の事実。

本書は、この一度だけの邂逅を、想像力を駆使して再現した戯曲です。

著者自身が前書きで「明日なき出会い」といっているように、デカルトとパスカルの思想はほぼ真逆。

どう考えても話し合いがうまくいったはずはないのですが、2人が実際にどんな話をしたのか、その詳細はまったく伝わっていません。

詳細はわからないながらも、その後のパスカルのメモに「私はデカルト氏を許せない」という記述が見つかったり、デカルトの側からもパスカルを批判する発言がみられたりと、どうやらこの対談はよくて平行線、悪ければ決裂という結果になった可能性が大きかったようなのです。

いったい2人がどんな話し合いを(というかどんな口論を、といったほうが正確かも?)したのか、後世のわたしたちも好奇心をくすぐられるところです。

楽観的と悲観的、アウトドア派とインドア派、外向的と内省的と、すべてにおいて逆の性質をもっていた2人。

常に自信満々の社交家デカルトと、心身ともに繊細で自身の内を深く見つめるタイプのパスカルとの間に何があったのか、興味は尽きません。

軽い口調の名訳も楽しい本書は、その好奇心に見事に応えてくれます。

巻末には「付論 デカルトとパスカルの出会い―実情と虚構」と題した批判小論も収載。

虚構を紡ぐ劇作家と史実を追求する歴史家との興味深いギャップも味わえます。

まとめ

小説で哲学を学ぶことは、哲学者のキャラクターはもちろん、その当時の社会情勢や環境までイメージとして知ることができるという利点をもっています。

また哲学者の人生というのはそれだけですでに面白い場合が多く、思想を抜きにしても普通に小説として楽しむことができます。

今回ご紹介できた名著は、哲学者小説のほんの一部です。

ほかにも、近世啓蒙主義のモンテーニュを主人公にした大作「ミシェル城館の人」や、ブロイアーとニーチェの架空の出会いを軸に世紀末の世相を切り取った「ニーチェが泣くとき」など、読む価値のある名著はたくさんあります。

東洋思想に興味がある方なら、諸子百家のひとり荘子の生涯を描いた「荘子は哭く」もあります。

ぜひ、読んでみてください。

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