諸子百家の思想から生まれたことわざ集。誰もが知ってる言葉の語源とは

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「朝令暮改」「一を聞いて十を知る」など、耳に心地よくためになるのがことわざ・四字熟語。

そのほとんどは古代中国に端を発しています。

中でも中国諸子百家と呼ばれる思想家たちの時代は、今に伝わるたくさんの故事成語を生み出しました。

諸子百家とは、紀元前3~6世紀の春秋戦国時代に生まれた思想の総称です。

わたしたちが日常生活の中でよく使うことわざの多くが、この時期の思想家たちの名言から生まれています。

知っていればちょっと自慢できる、ことわざの語源をご紹介します。

朝三暮四(列子)(荘子)

「適当にごまかす」または「目先の利益につられてだまされる」という意味のこの言葉。

あまりいい意味ではありませんが、ちょっと知的な皮肉として使い勝手のいい言葉です。

実はこの言葉は2つの語源をもっています。

その語源の1つは、列子が唱えたというもの。

列子はおおむね紀元前4世紀ぐらいの人と伝えられています。

ただし列子にまつわる資料はとても少なく、本当に実在していたのかどうかも疑問視されるほどあいまいな人物です。

列子の話と伝えられる「朝三暮四」のたとえ話は、以下のようなものです。

昔、ある人が猿をたくさん飼っていました。

餌代を少し切り詰めたいと思ったものの、猿が怒るのではないかと心配です。

そこでまず、こういいました。

「これからは餌のドングリを朝3個、夕方4個に減らしたいと思う」

猿たちはみんな怒り出しました。

そこで飼い主は言いなおしました。

「それでは朝に4個、夕方には3個ドングリをあげよう」

すると、猿たちはみんな喜びました。

このエピソードのあと、列子は「聖人がたくみに知恵をつかって群衆を喜ばせたり怒らせたりするのは、この話の猿と飼い主のようなものである」と続けています。

つまり「賢い人が知恵をもって民衆をだますのは当然のこと」というニュアンスで、列子は愚かな群衆を笑い、必要悪を肯定していたのです。

現代のわたしたちからみると、ちょっとびっくりするような話ですね。

冒頭で述べたとおり、この話にはもう1つ語源があります。

実は荘子の「斉物論」にもまったく同じ話があるのです。

面白いことに、同じ猿と飼い主のエピソードから荘子と列子はそれぞれ違う結論を引き出しています。

列子の場合は前出のように「聖人は知恵をもって愚者を自在に操れるものだ」というオチ。

それに対して荘子は同じ逸話のオチを「世の中には、目で見てわかるような確かなものは何もない(目に見えないものこそが大切)」としています。

荘子は彼我(自分と、自分以外のものすべて)を区別しない万物斉同論という説を唱えました。

万物斉同とは、すべてのものには表面的な違いしかなく、目に見えているものを除けば本質的にはすべて同じものなのだ、という考え方です。

「朝三暮四」も実は斉同論を論証するための説話のひとつです。

それにしても朝三暮四とはいったい荘子と列子、どちらが言い出した言葉なのでしょうか?

なにしろ、諸子百家の時代は今から2500年も前。現在まで伝わる間に、誰が言ったのかわからなくなってしまうこともよくあります。

ここは無理してどちらが起源か決めようとせず、あいまいにしておくのが吉でしょう。

長い歴史を感じさせる、こんなところも諸子百家の魅力のひとつなのです。

井の中の蛙大海を知らず(荘子)

昔、壊れた井戸の中に一匹の蛙が住んでいました。

蛙は自分が住んでいる井戸がこの世でいちばんいいところだと思っていたので、知人の海亀に自慢しました。

海亀は蛙に誘われて井戸に入ってみようとしましたが、すぐにつっかえてしまって入れません。

亀は、海に比べると井戸が狭すぎることを蛙に説明しました。

「自分が住んでいるところ(海)は、千里の広がりをもっても表現できないほど広く、千尋の高さをもっても測れないほど深い。

またその水は9回大水が出ても増えもせず、7回干ばつがあっても減りもしない」

それを聞いて蛙は驚きのあまり気絶してしまいました。

この言葉のもとになった説話は、荘子の「秋水篇」にあります。

意味は現在とほぼ同じで、「自分が知っているよりも大きな世界があることを知らず、あさはかな自慢をする」ということ。

ところがこの話、実はもともとは荘子の論敵である公孫竜子を批判した言葉だったのです。

諸子百家きってのロジカリストとして知られる公孫竜子ですが、話の中では「井戸の中の蛙のように、荘子の壮大な思想を理解せずに細かな詭弁ばかりをもてあそぶスケールの小さいヤツ」とコテンパンに罵られて逃げていく役回りになっています。

公孫竜子も西洋の論理学に近いかなり面白い学説を唱えた天才なのですが、この話ではその論理性も形無しのやられ役です。

それも仕方ないかもしれません。

なにしろ荘子の著書は、ほかの諸子百家の思想家たちと同じく本人ではなく弟子が書いたもの。

自分の師匠をもちあげるあまり、勢い余って論敵を貶めてしまうのというのは自然なことだったのでしょう。

ことわざとは関係ないのでここではご紹介できませんが、公孫竜子の「白馬非馬(白馬は馬ではない)」などもとても面白い思想です。

このままでは公孫竜子があまりにも気の毒、と思う方はぜひ読んでみてくださいね。

呉越同舟(孫子)

敵対するチームのサポーター同士が、同じスポーツバーに居合わせてしまったときなど「呉越同舟だ」なんて言いますね。

これは紀元前5世紀ごろの思想家・孫子の言葉です。

「兵とは詭道なり」「彼を知り、己を知れば百戦危うからず」など数々の名言を生んだ孫子。

彼の兵法論は、世界最初の戦術書といわれています。

戦術家として、ありとあらゆる戦況をシミュレートし効率のよい勝ち方を研究した孫子の兵法は、現在でもビジネスに応用可能な名著として幅広い世代に受け入れられています。

この言葉は、九地篇からの引用です。

九地篇とは、地形によって有利不利があることを詳細に説明した章のこと。

その中の用兵術にこの言葉が見えます。

兵を強くする方法として、孫子は以下のような話を披露しています。

「呉(国名)の人と越(呉の敵対国)の人は、日頃から互いに憎み合う間柄である。

しかし、同じ船に乗って川を渡ろうとしているときに、大嵐に遭ったらどうするか。

彼らはまるで左右の手のように心をひとつにして、たがいに助け合って危機を乗り越えようとするだろう。

このように、困難な状況に置かれればどんなに仲が悪い者でも助け合うものである」

この逸話を通して、孫子は「ピンチ状況をあえて作れば、兵たちは一致団結して強くなる」と主張しました。

もとは、兵士を効率よく働かせるための兵法の1つだったのです。

このエピソードが転じて、現在は敵味方が同じ場所に居合わせてしまうこと、そして敵味方であっても利害が一致すれば協力しあえることなどのたとえとして使われるようになりました。

たとえライバル関係にあったとしても場合によっては「呉越同舟」、協力して仲良くやっていきたいものです。

五十歩百歩(孟子)

ツッコミ的な状況で使用される、ちょっとユーモラスな言葉です。

「(どちらも低レベルで)たいした違いはない」という意味のこの言葉、儒学の思想家として有名な孟子が唱えました。

孟子は、孔子の開いた儒学を引き継いでさらに発展させた人。

一般的には孔子と孟子をまとめて「孔孟」というので、孟子を孔子の直弟子と思ってしまいがちですが、実は2人が活躍した時期は二百年ほどずれています。

「五十歩百歩」は、各地で遊説を続けていた孟子が、梁の恵王のもとにいたときに生まれた話です。

自分は善政を行っているのに、なかなか国が栄えないという王に対して、孟子はこんなたとえ話を聞かせました。

「2人の兵士がいました。

彼らが戦場におもむき、いざ戦いが始まったとき、2人はそろって一目散に逃げ出してしまいます。

そのうち1人は五十歩逃げて止まり、もう1人は百歩逃げて止まりました。

そして五十歩逃げた者は、百歩逃げた者を指して臆病者と笑ったのです。

王はこれをどう思いますか」

王は答えました。

「それはおかしい。

五十歩でも百歩でも、逃げたことには変わりないではないか」

それを聞いた孟子は、王をこう諭したのでした。

「その通りです。

程度が変わったところで、やっていることは変わりません。

あなたの善政も、同じようなことを程度を変えて行っているだけなのではないですか」

この話をもって、孟子は王に、さして効果のない一般的な政策を実行しただけで善政を敷いたと自称するのはおかしい、もっと根本的に違うことをしなければ国は富み栄えない、ということを示したのです。

後世ではむしろ笑い話のように伝えられている言葉ですが、もともとはためになる話だったのでした。

青は藍より出て藍より青し(荀子)

この言葉を唱えた荀子もまた、前項の孟子と同じく儒学に属する思想家です。

性悪説と礼治主義で有名な荀子は、勧学篇で「青はこれを藍より取りて、藍よりも青く」といっています。

このあとは「氷は水からできるものであるが、水よりも冷たい」と続きます。

いわんとする意味は、どちらのたとえ話もほぼ同じです。

藍の葉は、野生の状態ではごく普通の緑色の葉にすぎません。

それを人が発酵などの加工を加えることで、青い染料としての藍にしていくのです。

染料としての藍は、作るのにとても手間がかかります。

でも、手間と時間をたくさんかければ、素材である藍よりも青い色を藍から引き出すことができます。

逆に言うと、藍から青を引き出そうと思ったら、途中で面倒になってやめてしまってはダメなのです。

この説話で荀子がいおうとしたことは、「学問は途中でやめてはいけない」ということでした。

藍から青を取り出すように、人の精神もまた人の手で加工し、手間と時間をかけて整えていくことで初めて「知的」「理性的」といった善の性質を帯びてくるようになるのです。

簡単なことではありませんが、途中でやめてしまったら藍は青にはならず、藍のまま。

人間も同じで、途中で学問をやめてはいけない、というのがこの言葉の趣旨です。

礼をもって人間本来の悪性を正しい方向へ向けようとした荀子らしい言葉です。

矛盾(韓非子)

昔、楚に盾と矛を売る人がいました。

その商人は、盾を売るときには、この盾より固いものはない、といい、矛を売るときはこの矛に突き通せないものはない、といいました。

見ていた人が、それじゃその矛でその盾を突いたらどうなるんだい、ときいたところ、商人は答えられなかったといいます。

この有名なエピソードは、春秋戦国時代末期の思想家・韓非子が伝えたものです。

韓非子は前項に出てきた荀子の弟子です。

荀子の礼治主義から発展した「法治主義」を唱えました。

ご存じのように、矛盾とは2つの違う事実は成り立たないという意味です。

西洋哲学的な言い方をすれば、ジレンマとか二律背反なんていったりもします。

面白い話ではありますが、どうして韓非子はこんな話をしたのでしょうか。

実は、このエピソードを通して孟子がいいたかったのは、2人の聖人は並び立たないということでした。

韓非子の思想は、法律によって人を正しい方向へと導く法治主義です。

聖人といわれるような立派な人が登場して人を教え導かなくても、聖人のかわりに法が人を正せばいいのです。

一度法を決めておけば、それを踏襲することで、聖人でなくても誰にでも正しい政治ができる、と韓非子はいいます。

それを証明する論の一部として、最高とされる人(聖人)が2人以上存在するとしたらそれは矛盾である、といったところから上記のような説話が生まれたのです。

意外な論点から生まれた言葉ですが、その面白さと覚えやすさで自然に定着。

現在では普通に使われる言葉となっています。

なにげなく使う言葉も、語源をたどると意外な面白さがあるものです。

まとめ

皆が知っていることわざの語源をいくつかご紹介しました。

いかがでしたか。

意外に深い話もあり、案外しょうもない語源もあり、バラエティをお楽しみいただけたかと思います。

諸子百家は人数が多いだけに、個性的なキャラクターが目白押しの楽しいジャンル。

孔子や老荘など人気が高い思想を中心に、解説書もたくさん出ています。

ぜひこの機会に、東洋思想の大らかさに触れてみてください。

知っていると話題が豊富になる小ネタもたくさん仕入れられますよ。

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