哲学は、すべての学問の基礎となるもの。
古今東西の人類の叡智を凝縮した知の結晶です。
でも、そんな哲学を学んでみたいと思いながらも、「どこから始めれば?」と入口に迷ってしまう方も少なくありません。
そんな方はまず、哲学の歴史を大きな目で概観してみてはいかがでしょうか。
歴史を知り、その時代の思想家たちの特徴を知ることで、自分が知りたい分野や興味をもって読めそうなジャンルがおのずからわかってきます。
また、どんな思想もその前の時代から影響を受け、後の時代へと影響を与えてつながっていくもの。
そのつながりを知るためにも、まずは大づかみにでも全体像を把握することが大事です。
古代から現代まで、哲学の悠久の歴史をたどってみましょう。
以下では歴史の流れを追いつつその時代を代表する思想をざっくり紹介し、さらに学問に大きな影響を及ぼした当時の世相もあわせて解説します。
目次
古代
まずは哲学の黎明期からみていきましょう。
哲学史でいう「古代」とは、最初の哲学者といわれるタレスが誕生した古代ギリシャ初期から、ローマ帝国が崩壊した時代までを指します。
世界史の大きな流れとほぼ同じですね。
いっぽう、同時代の中国をみてみると、こちらは春秋戦国時代という戦乱の時代。
この約700年間にわたって続いた小国乱立の時代の中で、治世の技術としての哲学(政治学)が誕生します。
時代の混乱は、社会における哲学の必要性を加速させました。
現代まで続く中国の宗教・思想のほとんどがこの時代に生まれています。
哲学者を取り巻く世相
いわゆる西洋哲学のはじまりは古代ギリシャでしたが、その歩みは必ずしも平坦なものではありませんでした。
古代ギリシャと聞いて私たちがまず思い浮かべるのは、ホメロスの「オデュッセイア」やギリシャ神話でおなじみの、長い衣をまとった男女の姿です。
そのイメージが示すように、古代ギリシャ文化は繊細で芸術的な「美」を追求する文化でした。
現在に残る優美な彫刻や建築物などもそれを証明しています。
そんな享楽的ともいえる世相に逆らうように、孤独にストイックに自分自身や世界に向き合う哲学者は、よくて変人扱い、最悪の場合は異端者として処刑されることすらあったのです。
古代ギリシャを代表する哲学者・プラトンの著作には、哲学が新奇なものを好む若者たちの間でブームを巻き起こすさま、そのいっぽうで年配の人たちに眉をひそめさせるさまが描かれています。
やがてギリシャ文明が衰退し、古代ローマ時代に移り変わっても哲学者たちの不遇時代は続きます。
古代ローマは軍事力によって築かれたいわば「体育会系文明」。
論理性を武器とする哲学は、口先だけの詭弁というレッテルを貼られてしまいます。
そのためか、ローマ時代の哲学書はギリシャ時代にくらべてかなり少なく、その数少ないものもほとんど箴言集というエッセイのような形になっています。
哲学などは言葉遊びのようなもので、いい大人が真面目に取り組むものではない、と思われていたのでしょう。
東洋では、古代は大陸南東部を中心にさまざまな国が興り、戦いを繰り広げた時代。
この時代の思想史の主役は中国・諸子百家です。
長い歴史をもつ国らしく、数百年というロングレンジでさまざまな思想が生まれました。
広大な国土が育んだ多彩な思想は、西洋思想に負けないボリュームで読み応え十分です。
ギリシャ・ローマ哲学
哲学を学ぶ人が最初にふれるのが古代ギリシャの哲学です。
歴史上最初にくるから、というだけではありません。
その豊かなバリエーションとリーダビリティも、初学者にオススメしたい理由です。
昔、学問は「~学」というようにハッキリと種類分けされてはいませんでした。
哲学も、今のような論文形式だけではなく、エッセイや戯曲の形をとって表現されていたのです。
たとえばプラトンの代表作「饗宴」のように、劇の形で書かれた作品は読みやすさ抜群!
哲学の入り口としてぜひオススメです。
また、古代ギリシャはバリエーション豊かな百花繚乱の時代。
最初だけに先人の思想に影響を受けることがなく、先入観のない自由な思想が花開きました。
たくさんの哲学者が登場した時代ですが、中でもぜひおさえておきたいのは三大ビッグネームのソクラテス・プラトン・アリストテレス。
実はこの3人はそれぞれ師匠と弟子の関係です。
ソクラテスは「無知の知」を唱え、街角や広場で自説を説いて多くの若者を哲学の道へと導きました。
著書を一冊も残さなかったソクラテスに代わり、その言動を戯曲の形で記録したのがプラトンです。
師であるソクラテスを主人公にした戯曲を書きながら、ちゃっかり自分の思想を入れ込んで後世に残る作品を作り上げました。
哲学者でありながら優れた戯曲を著す文才をも持っていたプラトンとは対照的なのが、弟子のアリストテレスです。
プラトンが文系だとしたら、アリストテレスは完全理系。
理系脳をもつアリストテレスによって、それまで「理性」「愛」「正義」といった感情的なテーマで展開されていた哲学は、論理性に基づいた科学的な学問になっていきました。
哲学のもつひとつの側面が、ここで確立されたのです。
そんな古代ギリシャ文明が、やがて衰退した後にやってくるのが古代ローマ時代です。
さまざまなタイプの哲学が花開いたギリシャ時代とは違い、現在まで残っている古代ローマの哲学のジャンルはひとつしかありません。
それがストア哲学です。
ストア哲学はもともとギリシャで生まれローマ時代まで伝わったもので、倫理性にこだわる厳しい考え方から「ストイック」の語源にもなった学派です。
いわば「学問」ではなく「生き方」としての哲学です。
そんなストア哲学を貫いた哲学者として、セネカとマルクス・アウレリウスが挙げられます。
暴君ネロ帝の臣下であったセネカと、ローマ最盛期の末期に国を治めた皇帝マルクス・アウレリウスは、ともに政治的に難しい立場にありながら、自らの思想に背くことのない生涯を送りました。
彼らの著作は今では断片的なものしか残っていませんが、どちらも哲学書というよりはエッセイの雰囲気をもち、気軽に読める名著として今も多くの人に愛されています。
諸子百家
ちょうどギリシャで哲学が大きく花開いていた頃、遠く離れた中国でも思想の改革が起きていました。
東洋思想の基礎となる思想はほとんどこの時期に生まれています。
諸子百家とは、諸々の子(先生)が百もの家(学派)を立てた時代、という意味。
この時代に現れた思想家は枚挙に暇がありません。
諸子百家の歴史をたどってみるのは、まだ何に興味をもっていいのかわからない初学者の方にオススメです。
この時代は多種多様な思想が咲き乱れた時代です。
バラエティに富んだ思想の中から、自分の好みに合ったものを見つけやすく、またバリエーションが多いだけに読み飽きない魅力があります。
そんな諸子百家の中から何人かを選んでご紹介するのは難しいことですが、後世に与えた影響の大きさから言えば、絶対におさえておかなければならない存在は孔子でしょう。
孔子は礼とモラルを重んじるストア派的な学派の儒学を開き、大陸のみならずわが国にも江戸時代まで及ぶほどの多大な影響を与えました。
その孔子についで有名なのが、老子です。
老子は「道」を思想の中心とした道家という学派を立てました。
「道」とはもちろん道路のことではなく、自然の摂理、西洋的にいえば神様のようなものを表しています。
老子と、後世の弟子にあたる荘子が生み出した思想、老荘思想はよく知られています。
自然に身をまかせることを説く老荘思想は、いかにも大陸らしい大らかな思想。
今に続く、中国を代表する思想といえます。
諸子百家の特徴として、他学派への批判が挙げられます。
学派が乱立した時代だからこそ、互いに批判し合うことで思想の精度を高められたのでしょう。
彼らのディベートに的をしぼって楽しむのも、面白い読み方です。
中世
歴史を学んだことがある方なら、「暗黒の中世」という言葉をご存知なのでは?
中世はヨーロッパ中に戦乱の嵐が吹き荒れ、飢饉や疫病が蔓延した暗い時代。
自由な思想や科学の進歩は否定され、宗教戦争や異端審問によって多くの人命が失われました。
哲学史では、この時期は停滞期としてとらえられています。
中世という時代
この時代を代表する思想家は、アウグスティヌスとトマス・アクィナスです。
2人はともに神学者。
当時のヨーロッパはキリスト教の強い支配下にあり、教会以外の場所では学問はほとんど教えられていませんでした。
哲学だけでなく、どんな学問の学者も必然的に聖職者にならざるをえなかったのです。
そのため中世のヨーロッパ哲学は「宗教哲学」、つまり神学とほぼ同質の学問として姿を現すことになりました。
アウグスティヌスは教父哲学というジャンルを打ち立てました。
トマス・アクィナスはアリストテレスを神学に導入し、スコラ哲学という新しい学派を作っています。
どちらも、哲学より神学を上に置いた「宗教哲学」に属する思想家です。
長い中世の時期を通して、歴史に名を残すほどの思想家は数えるほどしか存在していません。
哲学の本質である自由な思想が発揮される余地は、中世にはありませんでした。
キリスト教の教義に背くようなことを言ったり書き残したりしたら、すぐに宗教裁判にかけられるような時代だったのです。
それでは、中世は本当に哲学の暗黒時代だったのでしょうか?
実は、そうとはいいきれない要素もあります。
知の守護者を自任していた教会は、それまであちこちに散らばっていた書物を収集し、保存に努めました。
哲学を含む学術書は教会で大切に保存され、散逸を免れ今日に至ります。
一般の人々に書物が行き渡らず教会だけが本を所有しているという状況は、一見知識を独占しているかのように見えますが、そのおかげで大部の著作がバラバラになることなく守られたというのも事実です。
思想の停滞期である中世はまた、古代ギリシャ時代からの遺産を大切に守り、古代から近世へ続く橋渡しの役目をした時代であるともいえるのです。
アウグスティヌスとトマス・アクィナス
この時代を代表する思想家、アウグスティヌスは「神の国」「告白」などの著作で有名。
若いころ気ままな放浪生活を送っていましたが、キリスト教に改宗してからは教会のために働き、宗教の理論的な基盤を作るために力を尽くしました。
教会の上位と必要性を説く彼の思想は「教父哲学」と呼ばれています。
教父とはキリスト教の教義を正しく伝えるために努力した聖職者のこと。
アウグスティヌスは教父のうちでももっとも重要な人物として知られています。
宗教を矛盾のない体系として整備することによって、キリスト教はひとつの学問として成り立ち、より伝えやすくなりました。
アウグスティヌスの業績は、中世を通してもっとも重要なものであったといえます。
もうひとりの有名人、トマス・アクィナスはスコラ哲学で知られています。
スコラとはもともとは「余暇」を指すラテン語です。
昔、学問は暇がある人しかできなかったので、こんな名前がついたのです。
学校(スクール)の語源でもあります。
中世スコラ哲学の特徴は、神学と哲学の融合にあります。
トマス・アクィナスは当時流行していたアリストテレスの哲学とキリスト教の教義を無理なく融合することに成功しました。
ただし、上下関係でいえばあくまでも哲学は神学よりも下。
哲学で解明できるのは現世のできごと(現象)のみであり、それを超えた普遍的な問題は神学でしか解決できない、とする考え方です。
これは中世の哲学全体にみられる特徴でもあります。
こうした考え方を経て、時代は哲学全盛期の近世へと入っていきます。
近世
近世と呼ばれる時代は、中世の終わり(宗教改革以降)から産業革命が始まるあたりのおおむね2世紀をいいます。
近代の一部ととらえられることも多く、厳密な区切りではありません。
しかし、この決して長くない期間に、デカルトをはじめ現代まで名を残す哲学者たちが数多く現れました。
暗黒の中世から天才の時代へ
暗黒の中世の終わりとともにやってきたのが、近世です。
フランスを中心に科学が格段の進歩を遂げ、その新しい知識に押されて、人々は迷信に支配されていた中世から脱け出しました。
また農工学や医学が進歩したことで社会に安定がもたらされ、生活に余裕ができたぶん学問を志す人も増えました。
進んだのは理系の学問だけではありません。
中世の終わりに起きた宗教改革によって、教会に頭を押さえられていた文系の諸学も息を吹き返します。
文学・芸術の分野ではルネサンス運動が起こりました。
文系理系、どちらの学問にとっても新鮮な刺激に満ちた時代だったのです。
またこの時代は、大航海時代とも重なっています。
海を越えて遠い国からもたらされた文化は、人々の好奇心を大いに刺激し、新しい思想が生まれる後押しをしました。
このように近世は、社会的にも思想的にも大きな広がりをみせた時代です。
哲学史上もっとも華やかな時代といってもいいでしょう。
アメリカの哲学者ホワイトヘッドは、この時代を「天才の世紀」と呼びました。
この時代に生まれた思想が後世に与えた影響ははかりしれません。
大陸合理論
近世の哲学の主役は、フランスです。
近代哲学の祖といわれるデカルトをはじめ、パスカル、モンテーニュ、ルソーなどさまざまな思想家が活躍しました。
「われ思う、ゆえにわれあり」(デカルト)、「人間は考える葦である」(パスカル)など、誰でも知っている名言は、皆この時代のフランスで生まれています。
当時のパリは、政治・科学・文学とあらゆるジャンルでヨーロッパをリードしていました。
哲学を論じるサロンも、いくつもあったと伝えられています。
またフランスのお隣の国、オランダも学問が盛んな国です。
当時はヨーロッパの多くの国が王制や貴族制をとっていましたが、オランダはその時代には珍しい民主制でした。
統治者をもたない「自由の国」オランダは、周辺諸国よりも言論の自由が保障されていたので、祖国で禁書扱いになった自著をオランダで出版する学者もおおぜいいました。
そんなオランダを代表する思想家が、スピノザです。
スピノザは自然そのものが神であるという汎神論を唱えました。
これは一神教であるキリスト教の考え方からすると、本来許されないことです。
まさに中世を脱したばかりの近世を象徴する思想といえます。
そのスピノザと交流があったのが、ドイツ生まれの思想家ライプニッツです。
彼は、世の中はすべて決まった方向に向かって進んでいるという「予定調和説」を提唱しました。
なお、ここまでに挙げた思想家たち(デカルト、スピノザ、ライプニッツ)には、後天的なもの(経験)よりも先天的に備わったもの(本質)を重んじるという共通点があります。
これらをまとめて、大陸合理論といいます。
大陸合理論は、非常に哲学らしい哲学です。
基本を知るのなら、デカルトから始まるこの時代の思想を読んでみましょう。
哲学と聞いて万人がイメージする、オーソドックスな形をおさえることができます。
イギリス経験論
いっぽう、海を隔てたイギリスでも哲学の波は広がっていました。
近世を通して革命の波に揺さぶられていたイギリスでは、哲学は純粋に思弁的なものというよりはむしろ社会学や政治学と結びついたかたちで発展しました。
近世の初期に活躍してイギリスの哲学の土台をつくったベーコン、ロックといった人たちは、思想家というより政治家としてのほうが有名です。
ロックは「白紙の心」という言葉を残しています。
これは、大陸合理論とは対照的に、「生まれたときには人は何も書かれていないまっさらな状態である。その後の経験が人格をつくりあげる」という考えを示しています。
この経験を本質よりも優先する考え方が、イギリスにおける哲学の伝統となりました。
この伝統は「イギリス経験論」と呼ばれ、その後バークリー、ヒュームへと引き継がれていきます。
バークリーの「誰も経験しないものは存在しない」という考えは、経験論の極北としても有名です。
イギリスは清教徒革命を経てきた国。
大きく分けるとプロテスタント、いわば新宗教の国ということになります。
古くから伝わるカトリックの考え方に支配されていた大陸の思想家たちに比べると、新奇な考えが生まれやすかったのかもしれません。
個性派ぞろいのイギリス経験論は、ちょっと変わった面白いものを読みたい方にぜひオススメです。
近現代
やがて時代は近代を経て、私たちがよく知る現代へと進んでいきます。
その間には、2つの大戦という世界を揺るがす出来事がありました。
いつの時代も、思想は社会と無関係ではいられません。
世界の枠組みを根底から揺さぶるような体験は、思想をどう変えていったのでしょうか?
近代と現代
近世と厳密な区別はされていませんが、一般的には、産業革命以降第一次世界大戦あたりまで(18世紀から19世紀)を近代といいます。
この時代に起きた大事件は、フランス革命とアメリカの独立です。
ともに市民が既存の権力を拒否する形で始まった2つの革命は、その後の世界のあり方を思想家たちに暗示する役目を果たしました。
ことに、アメリカという「伝統をもたない国」が生まれたのは、思想史からみても非常に大きな出来事でした。
新大陸アメリカからは、伝統の枠にとらわれない新しい哲学が次々と生まれました。
やがて時代は激動の20世紀へと続きます。
歴史に暗い影を落とした2つの世界大戦は、その影の下に実存主義という20世紀を代表する思想を育てました。
ここまで、哲学の歴史をみてきました。
それでは、いまわたしたちが生きている、現代の哲学とはなんでしょう。
多様化する世界の中で、哲学もまた多様化してきました。
近年の科学の発展にともない、哲学の形も変化せざるをえなかったのです。
たとえば昔なら哲学の範疇であった認知学は、いまや脳の問題としてとらえられるようになっています。
高度情報化社会に生きるわたしたちは、古代ギリシャ人から見ればまるで別の生き物のように思えるでしょう。
古代哲学では考えられなかったような問題、たとえば人工知能や遺伝子操作といった倫理的な問題に、現代の哲学は直面しています。
それでも、私たちが考えることをやめない限り、哲学がなくなることは決してありません。
哲学というツールで、わたしたちは今も古代の賢者たちとつながっているのです。
ドイツの思想家たち
近代以降の思想史にもっとも大きな足跡を残したのが、ドイツ。
とくにカントから始まるドイツ観念論は、現代までつながる哲学の基盤を作りました。
哲学というと思い浮かぶ「難しい!」「理屈っぽい!」というイメージは、そのままドイツ観念論に当てはまります。
中でもとりわけ難解なのが、人間の理性のありかを追求し、「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」の三批判書で自らの哲学を完成させたカント。
同時代の学者さえも「読むのが大変すぎる」と批評したカントの著作は、初心者にはオススメできないものの、はまると抜け出せなくなる面白さがあります。
ぜひ腰をすえて取り組んでいただきたいテーマです。
もうひとり、この時期のドイツを代表する人がヘーゲルです。
ヘーゲルはカントから少しだけ後の時代の人で、歴史哲学と論理学で有名です。
こちらもドイツ観念論の人らしく、とても難解。
近現代の哲学を学ぶ上ではマストの人物ですが、その著書は気軽に読み始められるものではありません。
はじめて読むなら、解説書などを用意して参照しながら読み進めましょう。
さて、ヘーゲルから時代を下り、19世紀末になるとニーチェという巨人が現れます。
「超人」「永劫回帰」「ニヒリズム」など、ニーチェを特徴づけるフレーズは、誰もが一度は耳にしたことのあるものばかり。
思想としては、非常にキャッチーであるといえます。
ニーチェの著作は、冷たい理性よりも心で感じるタイプのものです。
それだけに読み解くのが難しい部分もありますが、ファンの多さから解説書も幅広く出ており、初学者にオススメです。
20世紀に入ってもドイツ人の哲学的な気質は変わらず、ハイデガー、フッサール、ヤスパースなど多くの思想家が現れました。
例によって難解ですが、伝統的な観念論のスタイルを守りながらもより社会に沿う形へと変化した彼らの哲学は、ドイツ語圏特有のロジックの味わいを秘めた逸品ぞろいです。
哲学を読みなれてきたら、ぜひ挑戦してみましょう。
フランスにおける実存主義と構造主義
一時期大ブームになった「実存主義」という言葉を、年配の方ならご存知かもしれません。
実存哲学は戦後の思想史を彩ったビッグウェーブのひとつ。
もともとはキルケゴールから始まったといわれていますが、もっとも有名なのはサルトルです。
フランスの思想家ジャン・ポール・サルトルは、実存哲学を唱えるだけではなく実際に社会活動家として実践し、自らの哲学を、身をもって示しました。
その著作は論文だけでなく小説や戯曲など多岐にわたっています。
サルトルにとっては、ちゃんと伝わりさえすれば表現方法などどうでもよかったのかもしれません。
「実存(存在)は本質(目的)に先立つ」といった、彼らしい方法論です。
もうひとつ、フランスで生まれた重要な思想が構造主義です。
人類学者レヴィ=ストロースをはじめ、言語学者であるソシュール、心理学者のラカンなどが構造主義と呼ばれる立場をとっています。
あれ?哲学以外のジャンルの人ばかりだけど、これって本当に思想のひとつなの?と思った方、正解です。
構造主義は、主義というまぎらわしい名前がついてはいますが、実は思想ではなく考え方のひとつなのです。
この場合の「構造」とは、一種の枠組みのこと。
どんな物事にもある「構造」を読み解くことで、事物の本質に迫ろうとする考え方です。
あらゆる学問に応用できる構造主義は、学んでおいて損はない実用的な思想なのです。
それにしても、実存主義という魂を揺さぶるようなドラマティック哲学の後に、いかにもシステマティックな構造主義が現れるあたり、フランスという土壌の面白さを感じます。
この国から次はどんな思想が生まれるのか、興味は尽きません。
結び
ざっと哲学史の流れを追ってきました。
興味をもてそうな時代はありましたか?
次のステップへの足掛かりに、ぜひご活用ください。
哲学史には、ここではお伝えできなかった面白い思想がまだまだたくさんあります。
興味がある方はぜひ調べてみてください。
本稿が哲学の奥深い世界へ足を踏み入れるきっかけになれれば幸いです。