古代ギリシャ哲学を学んでいると、「ソクラテス以前」という言葉に出会うことがあります。
ソクラテスより前の時代のことだろうな、と察しはつくかもしれませんが、どうしてそんな言い方をするのでしょうか?
普通は人名を物差しにして「以前・以後」とはあまり言いません。
この不思議な言い方は、どうして生まれたのでしょうか?
目次
どうして「ソクラテス」を基準にするの?
すっぱり言い切ってしまえば、それはソクラテスがとても偉い人だからです。
ソクラテスは、哲学のありようを根本から変えました。
いまある哲学のすべては、ソクラテスから始まったといっても過言ではないのです。
「ソクラテス以前」という言い方は「ソクラテスから影響を受けていない」といいかえることもできるでしょう。
実際、ソクラテス以前の哲学者の中には、以前どころかがっつり同時代人だったデモクリトスやディオゲネスも入っています。
単に年代の問題ではなく、ソクラテスの思想を耳にする機会があったかなかったか、で分けているのです。
もっとも、この物差しは、あくまでも現代からみた区別。
古代ギリシャを振り返った時に、そう分けるとわかりやすいという意味での基準です。
それほど厳密な区切りではなく、目安と考えるのが妥当です。
ソクラテス以前の哲学者たちの特徴
哲学は人類が最初に発見した学問です。
昔は考えることそのものが、すなわち哲学でした。
考える対象はなんでもよく、つまり専門的な「〇〇学」というものが決まっていたわけではなかったのです。
だから今でいう自然科学も数学も、地理学も歴史学も、とにかく何でもすべてが哲学と呼ばれていました。
しかも、彼らの思想は箴言やときには詩の形で書かれていたので、文学と区分けするのも至難の業でした。
ソクラテス以前の哲学者たちの特徴は、形而上のものよりも自然科学に目を向けたという点にあります。
形而上とは、目に見える形はないけど概念として存在しているものをいいます。
たとえば正義や愛、美といったものです。
ソクラテス以前の哲学者たちは、概して形而上よりも目に見える自然のほうに興味をもっていました。
ソクラテスの登場以降、哲学は自身の内面を深く掘り下げるようなものへと変化していくのです。
難点も?
ソクラテス以前の哲学は、当然かなり古い時代の哲学ということになります。
哲学史を概観するうえではとても貴重なのですが、古いものならではの苦労もあります。
いちばんの問題は、資料が残っていないということ。
紀元前ですから、もちろん印刷された本はありません。
残っているのは手書きで書き写された写本だけです。
それも長い年月の間に散逸し、現在まで残っているのはわずかな断片だけです。
そのほかにも、もっとずっと後世のプラトンやアリストテレスが伝えた「昔、誰々がこういった」という形の孫引きがあります。
口伝えなので間違っている可能性もあり、完全に信頼できるものではありませんが、今に至るまで、このちょっとあいまいな資料がやむなくソクラテス以前の哲学を語るうえでのスタンダードとなっています。
古代ギリシャ前期の思想家たち
資料が少ないとはいえ、なにしろ前期古代ギリシャはかなりの長期間なので、その間に個性的な思想家がたくさん現れました。
哲学という限定的な意味だけでなく、人類全体の知性の歩みを読み解くうえでとても興味深い時代です。
以下では、ソクラテス以前の哲学者と呼ばれる思想家たちを、かいつまんでご紹介します。
タレス
タレスは記録に残る最初の哲学者といわれています。
天文学に優れ、日食を予言したことで有名です。
彼が生きていた時代の資料はほとんど残っていないので、その思想は後世の伝説からしか読み取ることができないのですが、彼はとても広汎な知識をもっていたと伝えられています。
伝説に残っているものだけでも航海術や天文学、農学など多ジャンルに及ぶ知識を網羅していたそうです。
なんとお金儲けの術、いまでいえば経済学にも通じていたといわれています。
イメージとしては、哲学者というよりも単に「賢者」といったほうがいいかもしれません。
タレスは、万物のおおもとは「水」であると主張しています。
水は生きるために絶対に必要なものであり、水を汲む器が丸ければ丸に、四角ければ四角にと自在に形を変えることができます。
すべての生き物と物質には水が含まれなければならない、そしてそれは自在に形を変えてすべてのものに溶け込んでいるに違いない、とタレスは考えたのでした。
水の性質を正しく読み取り論理的に考えたタレスの姿勢は、科学がほとんど発達していない時代であったことを考えると驚きです。
なお、この「世界は何からできているのか」という問題は、ソクラテス以前の哲学者に多くみられるテーマです。
哲学が始まったばかりのころ、哲学者の関心をもっともとらえた思索はいちばん身近な「世界」についてのものでした。
その思索の方向が、世界という「自分の外側にあるもの」から自分自身の内面に向くには、ソクラテスの登場を待たなければなりませんでした。
ピタゴラス
ピタゴラスの定理で有名なこの人も、ソクラテス以前の哲学者に分類されます。
ピタゴラスの偉業は数学だけではありません。
数字という不思議なものを通して、彼は世界を探求したのです。
数の規則性に魅せられ、それを「調和(ハルモニア)」という言葉にして世界の原理にあてはめたピタゴラス。
彼のもとで、数の神秘を崇拝するピタゴラス教団が生まれました。
数学と宗教が結びつくというのも、現代のわたしたちにしてみれば不思議な話ですが、数も自然の一部であるという考え方のもとでは自然なことだったに違いありません。
古代の人たちの考え方は、既成概念に縛られたわたしたちよりも柔軟だったのかもしれませんね。
ピタゴラス教団は彼の死後も十世代あとまで続いたと伝えられています。
ヘラクレイトス
「万物は流転する」という有名な言葉を残したのがヘラクレイトスです。
例によって資料が乏しく、本当にヘラクレイトスがこんなことを言ったという証拠はないのですが……。
ヘラクレイトスによれば、「同じ川に2回入ることはできない」。
つまり、今足を踏み入れた川はさっき入った川とは違う、なぜなら先ほど足を踏み入れたときの川の水は流れ去り、戻ってはこないから、ということです。
このように万物はたえず動き、姿を変えるものだとヘラクレイトスはいいます。
それでは、その変転する世界はどのように生まれたのでしょうか。
万物の源は火である、というのがヘラクレイトスの考えです。
人間の魂も火であって、それが次第に火勢が弱まり、やがて消えたときが人生の終わりだというのです。
これは、イメージ的にもなるほどと納得できます。
スタンスは合理的でありながらその枠におさまらない文学的な感じもする、面白い思想です。
クセノパネス
クセノパネスは自らの思想を詩の形で残しました。
この時代の人には貴重なことですが、わずかな断片が現代まで残っています。
この時代の哲学者の特徴として、自然科学的な知識や神や世界に関する抽象的な思想を残していますが、なにしろ詩の形なので、思索なのか創作なのかちょっとわかりにくい部分もあります。
「たんに宗教や自然に興味をもつ詩人と考える意見も出されている」と、廣川洋一は著書「ソクラテス以前の哲学者」で述べています。
最初期のギリシャ哲学特有の、自由でボーダーレスな雰囲気を伝えてくれるクセノパネス。
哲学者でありながらエンタテインメントを感じさせる彼の著作は、文学寄りの興味をもつ方にオススメです。
パルメニデスとゼノン
パルメニデスは紀元前5世紀ごろの人です。
今日のイタリアにあるエレアで学派を開いたので、彼の弟子たちは「エレア派」と呼ばれています。
パルメニデスは、世界は生成も変化もしない「一」であると考えました。
これは「あることはあり、ないことはない」というややこしい言葉で語られています。
万物は「ある」という本質的な一つの姿しかとらず、成長や老化はただ見た目の変化にすぎないというのです。
なんとなく、プラトンのイデア論につながりそうな話です。
パルメニデスの弟子がエレアのゼノンです。
有名なゼノンのパラドックス「アキレウスと亀」の話は、ご存知の方も多いでしょう。
ゼノンはこのパラドックスで、師パルメニデスの「万物は一であり、生成も変化もしない」という説を援護しようとしました。
とはいえその目的とは無関係に読んでも、ゼノンのパラドックスはとても面白い話になっています。
興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
ちなみに、ゼノンという人は哲学史上2人います。
もっとずっと後、紀元前3世紀ごろの話になりますが、ストア派をひらいた有名な思想家の名前がやはりゼノンでした。
このゼノンと区別するため、パルメニデスの弟子のゼノンはエレアのゼノンと呼ばれています。
デモクリトス
古代ギリシャの哲人の中には、ちょっと驚くような現代的なことを考えた人もいます。
それがデモクリトスです。
デモクリトスは、万物の源を「物をどんどん小さく分割していって、それ以上分割できなくなったもの」と定義しました。
つまり、原子論です。
この「いちばん小さなもの」を、彼は「アトム」と呼びました。
これが今日の原子という言葉のもとになっています。
ここからわかるように、デモクリトスの思想は哲学というよりは科学の発展に深くかかわっています。
古代哲学の幅広さを示す好例といえます。
プロタゴラス
プラトンの作品にも登場するプロタゴラスは、もうひとりの有名人ゴルギアスとともにソフィストの代表的人物と考えられています。
その生涯は、若干のずれを挟んでソクラテスが生きた時代とほぼ重なっていました。
ソクラテス以前ではなく同時代人ですが、あえて「ソクラテス以前」に数えられているのは、おそらくソクラテスと真逆の方向に向かった人という意味でしょう。
ソフィストとは、職業的な論理学者のこと。
弁論家ともいわれます。
物事の本質や人の内面について考える哲学と違い、ソフィストの仕事は議論に勝つことです。
実は、昔のギリシャは訴訟大国でした。
当時弁護士という職業はなかったので、法廷で弁護するのは被告人本人と決まっていました。
そんなとき、いつ訴えられても相手を言い負かせるように(あるいは争いになったらいつでも人を訴えられるように)、言論の技術を教えて授業料を取っていたのがソフィストです。
中でもプロタゴラスはソフィストの草分けとして知られ、「哲学史で初めて生徒から授業料をとった人」というあまり嬉しくない守銭奴伝説も伝わっています。
そんなプロタゴラスでしたが、「万物の尺度は人間である」という示唆に富んだ名言も残しています。
ものの価値は人によって変わる、という相対論は、善を悪、悪を善と自在にいいくるめたという彼のキャラクターを思うと納得できます。
プロタゴラスは、いい意味でも悪い意味でも、現代にいちばん近い人なのかもしれません。
まとめ
万物の源を水と考えたタレス。
数字が世界の支配原理であると考えたピタゴラス。
ギリシャ社会の必要悪ともいうべきプロタゴラス。
歴史上初めての高度文明社会といわれる古代ギリシャ文化は、さまざまな思想を生みました。
古代人の考え方には、科学が発達していないだけに、それに縛られない自由さがあります。
興味をひかれる思想はありましたか?
もしもお気に入りが見つかったら、ぜひ古代の叡智に触れてみましょう。
自由で大らかなギリシャの思想が、心を一段階大きくしてくれますよ。