密室という言葉ほどミステリ好きの心をくすぐるものはないでしょう。
密室内で起きる殺人は、まさに不可能中の不可能ともいえる事件。
その謎を解きたい、というのはミステリファン共通の心理です。
世界最初の推理小説といわれるポーの「モルグ街の殺人」も密室ものでした。
以下では、そんな密室ものの中から歴史に残る名作をご紹介します。
いずれも固定観念を覆す豪快なアイデアばかり。
中には「名作」ではなく、あまりにも豪快すぎる「迷作」も混じっているかも?
発想のコペルニクス的転回をお楽しみください。
目次
安達ケ原の鬼密室(歌野晶午)
叙述トリックの傑作「葉桜の季節に君を想うということ」で各賞を総ナメにした著者が、2000年に発表した連作短編集です。
相互につながるテーマをもった短編を収めた「短~中編」の形になっています。
各話の主人公は、公園で遊ぶ子ども・アメリカ留学中の女子高生・過去の事件を調査している探偵……と、まったくバラバラ。
あるテーマをもった4つの事件が、一見何の関連性もなくそれぞれ別に進行していく不思議な構成になっています。
メインテーマの「鬼密室」は、過去に起きた連続殺人の物語です。
「鬼屋敷」と呼ばれる山中の家で7人が殺された事件が、たったひとりの生存者である少年からの聞き書きの手記という形で語られます。
昭和20年、H県の山中。
山奥で道に迷った少年が、放浪の末不思議な家にたどりつきます。
この家に住む老婆に助けられた少年が屋敷で見たのは、からくり仕掛けの密室や、頭に2本の角がある身長5メートル以上の鬼たち。
まるで民話のような謎めいたことが次々と起きる中、さらに逃亡した米兵を捜索中の陸軍軍人4人組が屋敷に現れます。
そしてついに殺人が……。
時代も場所も違う物語が、ひとつのトリックを軸に連鎖していきます。
「なぜ今その話を?」と思われたエピソードがつながっていく爽快感は抜群。
読み進めると自然に謎が解けていく仕掛けになっています。
構成に長けた著者の、本領発揮ともいえる一冊です。
そして死の鐘が鳴る(キャサリン・エアード)
のどかなイギリスの田舎にある、改装中の教会。
その塔の中で、巨大な彫像が倒れてきて人が圧死する事件が起きます。
現場は砕けた大理石のがれきでふさがれ、たったひとつの扉は重機でがれきを撤去しなければ入れない密室状況でした。
重いだけに安定性も高い彫像が、自然に倒れるのは不自然では?
そう考えた警察は、何者かが被害者の上に像を倒して圧死させた殺人事件として捜査を始めます。
しかし、彫像は作業員12人がかりでやっと動かせるような巨大なもの。
重機も使えない密室内で、いったい誰がどうやって、彫像を倒して被害者を殺したのでしょうか?
作者は密室の概念を裏切るある物理現象を利用した、とんでもなくスケールの大きなトリックを作り上げました。
豪快すぎて実は実現不可能であることが指摘されているのですが、そこはご愛敬。
実現不可能なトリックでも、面白ければいい!という方にはとくにオススメです。
作者のキャサリン・エアードは日本ではあまり知られていない作家ですが、この豪快なトリックが「有栖川有栖の密室大図鑑」で取り上げられ、知名度が上がりました。
密室トリックを愛し、自身も工夫を凝らした密室ものの名作を著している有栖川有栖。
そんな彼を驚嘆させた(「呆れかえった」も少し入っていますが)超豪快系トリック、一度は試してみてください。
ムーン・クレセントの奇跡(チェスタトン)
チェスタトンといえば、冴えない容姿にこうもり傘がトレードマークのブラウン神父を主人公にしたシリーズが有名です。
シリーズ内で数々の密室・名トリックが生まれてきましたが、その中からここでは不可能度の高い事件「ムーン・クレセントの奇跡」をご紹介します。
事件の舞台はアメリカ東海岸の都市。その名の通り三日月形をしたホテル「ムーン・クレセント」の高層階に長期滞在していた実業家が、部屋から忽然と姿を消します。
ドアはひとつしかなく、その前には「仕事中は誰も入れるな」と指示された秘書がずっと立っていました。
部屋には窓があったものの、窓の外は垂直の壁でここから外に出るのは不可能。
そして部屋から消えた実業家は、捜索ののちに首つり死体となって階下の庭園で発見されます。
いったいどうやって、実業家は密室から消えたのでしょうか?
そして彼が死に至った理由とは?
物語の序盤から張り巡らされた伏線や密室トリックに加え、最後にはチェスタトンらしいレトリックもあり、二重に味わい深い掌編です。
この世の外から(クレイトン・ロースン)
素人マジシャンという風変わりな趣味をもつクレイトン・ロースンは、奇術師グレート・マリーニーを探偵役にしたシリーズで数々のトリックを考案しました。
絶対にありえないと思われる状況を目の前に作り出して見せるマジックの技術で読者を翻弄するのが、作者の持ち味といえるでしょう。
トリックやミスディレクションといった手品の常套手段は、そのままミステリのトリックにも当てはまると証明した稀有な作家です。
電話ボックスから人が消える代表作「天外消失」をはじめ、シリーズ中でマリーニーが挑むのは、いわゆる不可能犯罪ばかり。
そんな難事件に鮮やかな解決を提示する、奇術のノウハウを活かした推理が本シリーズのいちばんの見どころです。
「この世の外から」も密室内での殺人という不可能な状況を扱っています。
事件は、交霊術を行うといって部屋に閉じこもった男が殺されるというもの。
ドアは内側から施錠され、テープで目張りがしてありました。
犯人はどうやって部屋から出たのでしょうか?
実は本作は、ロースンと親交が深かったジョン・ディクスン・カーとの競演でもあります。
「内側からテープで封印された密室から、どうやって出入りするのか?」という問題を、ロースンは本作で、カーは「爬虫類館殺人事件」で見事に解決してみせました。
読み比べてみるのも一興です。
奇術をより楽しくするプラスワン要素として軽妙な話術がありますが、語り手の「わたし」ことロスとマリーニーの掛け合いも絶妙。
エンターテインメントとして申し分のない出来栄えです。
斜め屋敷の犯罪(島田荘司)
豪快系トリックの代名詞と呼んでもいい存在の島田荘司。
たくさんの読者を仰天させるアイデアを提示してきましたが、ここではとりわけ豪快さが際立つ密室トリックを見せつけた「斜め屋敷の犯罪」をご紹介したいと思います。
北海道にある、大企業会長の邸宅「流氷館」。
その建物はわざと傾けて建てられたデザインのために「斜め屋敷」と呼ばれていました。
寒気激しい12月のさなか、その館で開かれるクリスマスパーティーのためにオーナーの知人が集まった夜に、事件は起こりました。
最初に殺されたのは、パーティー参加者のお抱え運転士。
屋敷の外に面したドアには、内側から鍵がかかっていました。
その後さらに、オーナーの知人が殺されます。
地下にある部屋には窓もなく、ドアには三重に鍵がかかっているというさらに厳重な密室内での犯行でした。
事件解決のために東京から招かれた名探偵・御手洗潔と助手の石岡和己が解いた驚愕のトリックとは?
複数の密室が登場する大掛かりな仕掛け、一見無意味な出来事がつながっていく爽快感と、人がミステリに求めるものがすべて出そろった大作です。
伝説の大トリックを「傑作」ととるか、「ナンセンス」ととるか?
その答をぜひ、確かめてみてください。
最後で最高の密室(スティーヴン・バー)
「位相幾何学の問題として密室を解くのは間違いだ」。
この名台詞が登場するのが、スティーヴン・バーの「最後で最高の密室」です。
ミステリというよりは奇譚といいたくなるような雰囲気を備えたこの小品は、ロンドンにあるクラブで客たちに語られる話という体裁をとっています。
古き良きスタイルで語られる物語は、導入部から魅力たっぷり。
優れた密室トリックに加えて、クラブ・ミステリの醍醐味まで味わうことができます。
ストーリーは緻密にしてシンプル。
経済界の大立者が自宅で首を切り離された死体となって発見されます。
険悪な仲だったという息子が容疑者として浮かび上がりますが、本人は所在不明。
犯行当夜、屋敷はすべての出入り口に鍵がかけられた密室状態でした。
すべてのドアと窓が厳重にロックされた屋敷から、息子はどうやって消えたのでしょうか?
真相がわかったときの、膝を叩きたくなるような「納得感」は最高の名に恥じません。
鍵のかかった部屋(貴志祐介)
密室で起きた事件を専門とする防犯探偵・榎本シリーズの3作目です。
前作「狐火の家」前々作「硝子のハンマー」に続き、「防犯探偵」ことF&Fセキュリティ・ショップ店長・榎本径が専門知識を活かした名推理で密室の謎を解き明かしていきます。
機械トリック、心理トリック、時差トリックなどなど、どこを見ても密室、また密室で、密室好きにはたまらない同シリーズ。
本書にもさまざまなタイプの密室が登場します。
密室トリックを網羅した作品の中でも、とくにオススメしたいのは表題作「鍵のかかった部屋」です。
現場は練炭自殺をはかった少年の部屋。
部屋は施錠され、テープで内側から目張りがしてありました。
どう見ても自殺らしい状況ですが、死亡した少年の妹は納得できず、叔父を通して榎本に助けを求めます。
密室のプロフェッショナル・榎本径が出した結論とは?
本作のポイントは謎解きのわかりやすさ。
工夫を凝らされた密室でありながら、すんなりと納得できるシンプルさが魅力です。
主人公の榎本とコンビを組む美人弁護士(自称)青砥純子のトンデモ推理も炸裂、シリーズ作品らしい楽しさもある密室尽くしの一冊です。
51番目の密室(ロバート・アーサー)
すべてのドアと窓を板で打ちつけられた、密室状態の小屋。
その中で首を切断された推理小説家の死体が発見されます。
自らが豪語していた「新機軸の密室トリック」そのままの状態で殺された作家の話を聞き、駆け出し作家のマニックスはその謎を解こうと決意します。
首尾よくトリックを解明できたら横取りして自分の作品に使おうという魂胆で犯行現場を訪れたマニックスでしたが、犯行現場はなんと、守銭奴の土地オーナーによって観光地化されていて!?
ドタバタコメディのテイストとミステリ史上屈指の大技が、読者を笑いの渦に巻き込む名短編。
初読で必ず驚くまさかの大トリックは、多くの作家に言及されています。
しかしこの作品、特別なのはトリックだけではありません。
遊び心たっぷりの脇道も本作の大きな魅力です。
冒頭のMWA(アメリカ探偵作家協会)の会合の場面から、クレイトン・ロースンやジョン・ディクスン・カー、ジョルジュ・シムノンなど著名な作家が実名で登場。
ミステリ作家たちのひそかな苦労を垣間見せてくれます。
空前絶後のトリックも含め、読後はきっと誰かに話したくなりますよ。
赤い密室(鮎川哲也)
日本の本格ミステリ界が誇るトリックメイカー・鮎川哲也。
彼の創作する変幻自在のトリックは、新本格世代の作家に大きな影響を与えました。
本短編「赤い密室」にも、のちのミステリ作家の手本になるような見事な技法が駆使されています。
大学の法医学教室で、不審死体の解剖を行う4人の医学生。
それぞれ恋のライバル関係にある男女4人のうち、1人が解剖室内で死体となって発見されます。
死体はバラバラにされ、ひとつひとつ新聞紙で梱包されて、まるで荷札をつけてどこかへ発送する荷物のような様相を呈していました。
解剖室は完全な密室状態。
解剖を行う部屋はもちろん、その前の準備室にもしっかりと錠がかかった扉があり、すべての窓には鉄格子がはまっていました。
明治10年建築という頑丈なレンガ造りの建物は、人間がすり抜けられそうなゆるみや隙間もまったくありません。
2つの扉に守られた密室の謎に困り果てた警察は、名探偵の星影龍三に捜査を依頼します。
星影が看破した驚きの密室トリックとは?
シンプルながらも隅々まで考え抜かれたトリックは、まさにベテランの妙技。
熟練のミスディレクションで読者をあざむく職人芸を堪能できます。
密室の行者(ロナルド・A・ノックス)
この有名なトリックについては、抄訳や推理クイズなどでご存じの方も多いでしょう。
数々のアンソロジーにも収載されている名作(迷作?)です。
本稿では綾辻行人が編纂したアンソロジー『贈る物語Mystery』を参照しました。
事件が起きたのは、体育館として使われていた建物。
内側から施錠されたその建物の真ん中に置いたベッドの上で、男が死んでいるのが発見されました。
死因は餓死。
しかし不思議なことに、建物内にはちゃんと食料が完備されていたのです。
用意された食料にまったく手を付けずに餓死することはありえないとして、警察は他殺の線で捜査を開始。
最近あやしげなインドの行者が男の家に出入りしていたことを突き止めます。
4人のインド行者は、ヨガにはまっていた男が自ら断食修行をして死んだと主張するのですが……?
密室というにはかなり広い空間で、広さを活かした豪快トリックが炸裂。
ここまでされると、「無理」や「不可能」などいうのも野暮というものです。
常識を捨てて楽しみたい方には最適の一冊です。
結びにかえて・密室をもっと知りたい方に
密室はストーリーとして楽しめるだけではありません。
密室トリックを研究対象としたエッセイにも、読み応えのあるものがたくさんあります。
ジョン・ディクスン・カーの長編小説「三つの棺」では、作中で密室についてのウンチクが語られ、ストーリーに趣きを添えています。
まるまる1章を割いて展開される密室談義は、作中作とは思えない本格的な密室研究であると、ファンの間で高く評価されています。
また初心者にもわかりやすくオススメなのは、密室をこよなく愛する新本格の作家・有栖川有栖による「有栖川有栖の密室大図鑑」です。
イラストレイター磯田和一とタッグを組み、文章だけではわかりづらい密室を図で示しました。
国内・海外40編の名作をエッセイとイラストで紹介する本書は、密室をよりイメージしやすくなると好評です。
トリックをバラしすぎない配慮もされており、もっとたくさんの密室を知りたい方にぜひオススメです。