【平安京】と【平城京】の意味と違い、使い分けや使い方

平安京は、794年(延暦13年)に現在の京都府京都市に、桓武天皇が造った都です。

それ以前には現京都府長岡京市にあった京都を遷都したのでした。

その後1869年(明治2年)まで日本の都とされてました。

平城京は、710年(和銅3年)に現在の奈良県奈良市と大和郡山市にまたがる地域に、元明天皇によって作られた都です。

それ以前に現奈良県橿原市と明日香村にまたがる地域にあった藤原京から、遷都されることによって生まれました。

平安京はどんな姿であったか?

平安京は、当時の中国の支配国家であった唐の長安の都を手本に造られました。

大内裏と呼ばれる天皇の居城を北方に置き、縦横に碁盤の目に通りを巡らせた作りになっていました。

その大きさは、東西4.5km、南北5.2kmあったと伝えられます。

通りにはすべて名前が付けられ、それらは現在の京都市の通りに受け継がれています。

平城京はどんな姿であったか?

平城京もまた、唐の長安を模して造られた都でした。

碁盤の目に作られた通りの真ん中の朱雀大路を中心に、東側が左京、西側が右京と呼ばれました。

平安京との構造のちがいは、左京のさらに東側に外京と呼ばれる地域が造られていたことです。

天皇の居城は「平城宮」と呼ばれていましたが、正確な立地は長らく不明で、1924年から始まった発掘調査によって次第に明らかにされてきました。

平安京と平城京、どちらが栄えた?

平安京は、なんといっても「千年の都」と言われる通り、イスタンプールと並んで世界史上でももっとも長く続いた都です。

その間、数々の寺社仏閣、美術作品、書物、などを輩出し続けた、まさに世界に冠たる文化都市でした。

しかし、1467年から1478年まで続いた応仁の乱によって一時は荒廃しきってしまいました。

その後復興していきますが、太平洋戦争で空襲の脅威にさらされます。

しかしこの際はごく一部の被害にとどまったおかげで、王子の姿を今日に伝えることができています。

平城京ですが、都として位置付けられた期間こそ74年間と短かったですが、平安京のモデルとされた都であり、平城京が栄えた期間は奈良時代として日本史上でも重要な時代とされています。

やはり数々の文化遺産が作られ、今では世界遺産になっている建物も多く存在します。

平安京と平城京が残した世界遺産

平安京は、現在の京都市に「古都京都の文化財」として17件の世界文化遺産を残しました。

一方平城京も同様に「古都奈良の文化財」として登録され、それらは八つの文化財で構成されています。

いずれも寺や神社の宗教建築物が大半です。

その中では、京都の二条城と奈良の春日山原始林が異彩を放っています。

今後も長き未来にわたってこれらを保存していくことが望まれることは言うまでもありません。

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