どんなものにも最初の一歩があります。
現在のようにミステリが専門的なジャンルになるまでには、どんな経緯があったのでしょうか。
たとえば史上初の叙述トリックはいつ誰が書いたのでしょうか?
史上初の見立て殺人は?
それを知るのも決して無駄ではありません。
基本をおさえるなら、すべての基礎を作った古典こそしっかり読んでおきたいもの。
ミステリの歴史を作った古典の名作を読むことは、最新のミステリを理解するためにも役立ちます。
中には「古典ミステリなんて、古くさくてつまらない」そう思う方もいるかもしれません。
ところが、古典の名作の中には、最新の作品よりもスリリングで興趣に富んだものもたくさんあるのです。
古くて新鮮な古典ミステリに、ぜひ触れてみてください。
古いからといって、決して損はさせません!
エドガー・アラン・ポー
探偵小説の始祖といわれるエドガー・アラン・ポー。
古きを温め新しきを知るなら、まずはこの作家を外すわけにはいきません。
ポーはアメリカの作家で、19世紀の前半に活躍しました。
世界最初の「名探偵」が登場する小説「モルグ街の殺人」のほか、ゴシックホラーやユーモア小説、評論や詩まで書く多彩な人物です。
雑誌編集者としても活躍し、文豪ディケンズをはじめさまざまな作家と交流があったと伝えられています。
論理的かつ分析的な手法は後世に大きな影響を与えました。
彼の名前をそのままペンネームにした江戸川乱歩も影響を受けたひとりです。
今も、ポーの作品をテーマにした二次創作アンソロジー「ポーに捧げる20の物語」が出版されるなど、ミステリ作家たちの尊敬を集め続けています。
以下では代表作として、彼が創作した名探偵デュパンが活躍する作品3編をご紹介します。
モルグ街の殺人
ミステリ史の最初の一歩として記録されている、記念碑的な作品です。
1841年に書かれました。
物語の舞台はパリ。
モルグ街と呼ばれる小さな路地に住む母と娘が、何者かに惨殺されるという事件が起きます。
ドアは内側から施錠され、部屋は密室状態でした。
物語の語り手である「私」と友人のデュパンは、新聞で読んだモルグ街の事件に興味をもって独自の捜査に乗り出します。
密室での殺人、論理的思考をもちながらも行動はエキセントリックな名探偵、そして意外な犯人とミステリに求められるものがすべて出そろった作品です。
世界初の推理小説でありながら、現代まで続く「探偵もの」の要素がすべて登場していることに驚かされます。
マリー・ロジェの謎
パリで売り子の仕事をしている女性が失踪、そののちセーヌ川に遺体となって浮かんだという事件を、デュパンが読み解いていきます。
この物語のポイントは、実際にあった事件を下敷きにしているということです。
そのころニューヨークで起きた女性失踪事件(のちに殺人事件)が、もとになった事件。
当時アメリカで世間を騒がせていたこの事件を、ポーは関係者の名前を変え舞台をパリに移して小説中に再現してみせたのです。
結局ニューヨーク女性失踪事件は迷宮入りになり、ポーが作中で示した推理が正しかったのかどうかは確かめることができませんでした。
とはいえ、この作品は実際の事件がミステリ小説として登場した世界で初めての事例といわれています。
現在でも実際の事件に着想を得たミステリ小説は多数ありますが、その礎はポーが築いたものだったのです。
盗まれた手紙
意表を突いたトリックが光る、デュパンものの3作目です。
「盗まれた手紙」とは、さる貴婦人に宛てて書かれた私的な手紙のこと。
いかにも、華やかなパリを舞台にしたデュパンものらしい設定です。
公表されたらスキャンダルになることは間違いない手紙を盗まれてしまい、困った貴婦人は警察に内密な捜査を依頼します。
警察は犯人とおぼしき人物の部屋を捜索しますが、問題の手紙はどこにもありません。
弱り切った警視総監は、名探偵デュパンに助けを求めました。
それから一か月後。
再び訪ねてきた警視総監に、デュパンは例の手紙を取り出してみせます。
徹底的な捜索にもかかわらず見つからなかった手紙は、一体どこにあったのでしょうか?
そしてデュパンはどうやってそれを手に入れたのでしょうか?
発想の転換に心地よい驚きを味わえる一編です。
ジョン・ディクスン・カー
今に至るまで、ミステリファンの心をつかみ続ける密室トリック。
その密室のスペシャリストともいうべき存在が、ジョン・ディクスン・カーです。
20世紀前半から半ばにかけて精力的な活動を続け、巨漢の探偵ドクター・フェルと英国情報部部長ヘンリー・メルヴェール卿という2人をそれぞれ探偵役にしたシリーズをはじめ、数々の傑作を生みだしました。
別名義のカーター・ディクスンでも多くの作品を発表しています。
世界中にファンをもつカーですがとくにわが国での人気が高く、江戸川乱歩や横溝正史から二階堂黎人など現役の作家たちも大きな影響を受けています。
カー特有の、本格派のトリックにオカルト的な要素を取り入れたストーリーは、いま読んでも新鮮な輝きを放っています。
三つの棺
シリーズキャラクター・フェル博士が探偵役を務める作品です。
ロンドンに住むグリモー教授は、酒場で「墓からよみがえった」と自称する男に出会います。
男は「近々訪ねていく」と教授を脅しました。
知人からその話を聞いたフェル博士は教授を訪ねますが、到着すると教授はすでに殺された後でした。
犯人の姿はどこにもなく、窓の外に積もった雪の上には足跡すら残っていませんでした。
複雑なプロットと不可能犯罪の謎とを溶かし込んだストーリーは、まさに圧巻。
カーの最高傑作との呼び声も高い名作です。
しかし、本書を伝説の作品にしているのはそれだけではありません。
もっとも有名なのが、作中で行われる「密室の分類研究」です。
探偵役のフェル博士が、まるまる一章を使って行う密室講義は、それだけで独立した小論になるほど充実したもの。
ミステリファンならぜひ読んでおきたいところです。
魔の森の家
2つのペンネームを使い分けていたジョン・ディクスン・カー。
そのうちのカーター・ディクスンの名前で書いたのが、HMことヘンリー・メルヴェール卿の事件簿です。
HMのユーモアあふれるキャラクターのもとで、「一角獣殺人事件」「ユダの窓」など、数々の傑作が生まれました。
コメディタッチの中に本格推理の魂が宿る名シリーズです。
本作もシリーズ屈指の名作のひとつ。
多くのアンソロジーに収載されています。
この世とあの世を行き来すると称する少女が「魔の森」と呼ばれる森の中の別荘で消え、そしてまた現れた事件。
それから数年後、HMは当事者の女性ヴィッキーと彼女のいとこイヴ、イヴの婚約者ウィリアムとともに事件現場を訪れます。
ところがその現場で、まるで事件を再現するかのようにヴィッキーは再び姿を消します。
彼女は本当に、自在に姿を消せる超能力者なのでしょうか?
それとも……?
密室からの脱出というテーマが2回くりかえされ、そのどちらにも別の解答が与えられるという技巧派の一作。
読者の背筋を凍らせる、最後の一文もしっかり効いています。
火刑法廷
冒頭から最後まで謎に満ちたストーリーで、カーの真骨頂というべきオカルティックな雰囲気が満喫できる作品です。
編集者スティーヴンスは、ふとしたきっかけで17世紀の毒殺魔といわれる女性のことを知ります。
ところが、遠い昔に火刑に処せられた魔女の顔は妻のマリーと瓜二つ。
驚くスティーヴンスでしたが、さらに隣人宅で毒殺事件が発生。
犯人は密室から煙のように消え失せ、さらに一族の墓から死体が消える事件まで起きてしまいます。
まるで歴史の中の事件をなぞるような毒殺事件。謎めいた事件が次々と起きる中、スティーヴンスは妻のマリーに不信感を抱き始めます。
一連の事件は彼女と関係があるのでしょうか?
ミステリとホラーの間の細い隙間を見事に通り抜けて見せた、カーの代表作です。
エラリー・クイーン
読者を驚かせるトリックとミステリに対する愛情あふれる言動で、今も多くのファンに慕われるエラリー・クイーン。
推理小説家にもファンが多く、とくに新本格の世代の作家たちに大きな影響を与えています。
エッセイなどでクイーン好きを公言している有栖川有栖、自著でクイーンとまったく同じ「ペンネーム=主人公の名前」というスタイルをとった法月倫太郎など、現在活躍しているミステリ作家が軒並み影響を受けているクイーン。
ぜひ読んでおきたいところです。
エラリー・クイーンはフレドリック・ダネイとマンフレッド・リーの2人の合作ペンネーム。
2人は実はいとこ同士です。
息の合ったコンビぶりで、小説のみならずアンソロジーの編纂やミステリ雑誌の創刊など、幅広く活動しました。
自らの名をつけた名探偵エラリー・クイーンが活躍するシリーズと、もうひとりの探偵ドルリー・レーンが登場するシリーズからそれぞれ1編をご紹介します。
ギリシア棺の謎
タイトルに国名を冠した「国名シリーズ」の4作目にあたる作品です。
書かれた順序では4冊目ですが作中の時系列では最初の事件であり、探偵エラリー・クイーンが初登場した作品ともいえます。
心臓麻痺で死亡した大富豪の遺言書探しから始まり、次々に殺人事件が起きるストーリーはスリリングで読者を飽きさせません。
本書のメインテーマはフーダニット。
読者は若き探偵エラリー・クイーンとともに、多くの登場人物の中から犯人を推理していきます。
次々と繰り出される新事実を読み解き、正しい結論にたどりつくことができるでしょうか?
また本書は、クイーン最初の事件というべきもの。
大学を出たばかりの未熟なエラリー・クイーンが間違った推理をくりかえしてしまうという展開も、その後のシリーズには見られないレアものです。
そんな初々しいところもあるものの、推理の過程はさすがにエラリー・クイーンらしい本格派。二転三転する推理の駆け引きを存分に楽しんでください。
Yの悲劇
本書はドルリー・レーンを主人公にした4部作の2作目にあたります。
「Xの悲劇」「Yの悲劇」「Zの悲劇」に加え、最終巻「ドルリー・レーン最後の事件」の合計4作のシリーズは、単発でも読めますが全体につながりをもち、すべて読むと「起承転結」が明らかになる仕組みになっています。
ドルリー・レーンは、クラシカルなスタイルを好む初老の元シェイクスピア俳優というキャラクター。
活動的なエラリー・クイーンとは打って変った雰囲気です。
そのためか、ドルリー・レーン4部作はいずれもエラリー・クイーンではなくバーナビー・ロスの筆名で発表されています。
ニューヨークの古い邸宅に住む一族「ハッター家」。
変わり者ぞろいで近所の人からは「マッド・ハッター」(「不思議の国のアリス」に登場するキャラクターとひっかけたジョーク)と呼ばれているハッター家で、連続殺人が起きます。
しかも凶器は、人を撲殺するにはあまりにも奇妙なものでした。
一体なぜ、犯人はそんなものを凶器に使ったのでしょうか?
前項の「ギリシア棺の謎」がフーダニットなら、こちらのテーマはホワイダニット。「なぜ?」から始まる推理劇が読者を魅了します。
古典ミステリの魅力
古典の名作には、今も色あせない強力な魅力があります。
たとえばシャーロック・ホームズの生みの親コナン・ドイル、そのライバルともいえる怪盗ルパンを創作したモーリス・ルブラン。
彼らは後発の作品にはかりしれない影響を及ぼしました。
また、黄金期のミステリも魅力です。
ヴァン・ダイン、クレイトン・ロースン、アガサ・クリスティといった名人たちが華を競った時代の作品にも触れてみたいものです。
いずれも読みごたえ十分で、現代のミステリと比べても少しもひけをとりません。
時を超えて、黄金期の名探偵たちに会いに行ってみませんか?