不登校を父親が理解してくれない!父が協力的になると子供も変わる。

不登校になっている子どもの悩み事でよく聞くのが「お母さんは親身になって話を聞いてくれるけれど、お父さんは責めるばかり」、「お父さんと話すのが苦痛」、「お父さんが嫌い」という父親に対するマイナス感情です。

勿論、父親が絶対悪というわけではなく、立場が逆転していることもありますし、「両方話を聞いてくれない」、「どちらも親身になってくれる」という話もあります。ですが、どうしても圧倒的多数は「父親が理解してくれない」となるのです。

それは何故なのかというと、父親はかなりの高確率で一家の大黒柱となっているからです。

大黒柱だからこそ、毎日仕事に追われ、学校に行けずに苦しむ子どもの姿をそこまで間近で見ておらず、理解が進みづらいという現実があるのです。

時には「自分だって辛いんだ、それでも仕事をしているんだ」と子どもに嫉妬心に近い感情を持っている場合もあります。

この「不登校に理解の無い父親」という話は特に、夫婦仲があまり良くない家庭で見られるケースです。

夫婦仲が良くないがゆえに子どもの事情を共有できず、さらに自分の目で子どもの姿を見る機会が無い。そうなると、自宅でのんびりしている子どもを見て「ダラダラするんじゃない!」と言いたくなってしまうものなのです。

そうなってしまうと「子どもを責める父親」と「子どもを庇う母親」という構図が誕生しやすく、場合によっては離婚に繋がることもあります。

子どもの不登校が原因の離婚、というのは決して少なくはありません。また、それが子どもに悪影響を与えることは言うまでもありません。

結論から言えば、「父親(片親)が子どもの不登校を理解せずに子どもを責め立てる」状況も「片親だけが子どもの味方をし、もう片方の親と対立してしまっている」状況のどちらも子どもに深刻な悪影響を与えます。早急な環境改善が必要と言えるでしょう。

子どもを守る母親からしてみれば「子どもだけで大変なのに」と思われるかもしれませんが、むしろ子どもよりも先に父親の認識改善を優先すべきなのです。

父親に協力的になってもらうには、認識を改善してもらうにはどうすれば良いのか。この記事では、不登校を理解出来ない父親への対処法をご紹介していきます。

父親にも子どものことを見てもらいましょう

一件は百聞に如かず。母親だけが子どもの面倒を見ている・子どもと一緒にいる状況が現状を生み出しているのだということを肝に銘じて下さい。

そもそも父親は仕事に追われ、子どものリラックスした姿くらいしか見ていないわけです。

「こんなに元気なのに、どうして学校に行かないのか」、「今からこんな状態で、この先どうするつもりなんだ」、「甘ったれている」と考えてしまうのは無理もありません。

学校のある日、つまり平日に子どもの姿を父親に見てもらうのが理想です。父親は大抵子どもよりも先に家を出ますから、学校に行けずに苦しみ、落ち込む子どもの姿を見ている筈がないのです。

優しい言葉を掛けることが出来ずとも「どうして学校に行かないんだ!」に対する返答を聞くだけでも十分でしょう。

こういう家庭の場合、大抵母親は「お前が甘いからだ」と責められるものなのですが、この問題に関しては強気に出ようが優しく出ようが駄目なものは駄目なのです。

それを理解してもらうには、やはり一度は直接子どもと接しておくべきなのです。

「仕事が忙しい」だとか「それは母親の仕事だ」だとか、厄介な話になることも多いのですが、そもそも父親も「親」なのですから、そこは何としてでも理解してもらわなければなりません。

ここを乗り越えられないのであれば、遅かれ早かれその家庭は駄目になってしまうでしょう。

子どもの方も、高圧的で話を聞かずに一方的に責めてくる父親のことが嫌になってしまうことでしょう。

家庭内不和は、酷くなれば酷くなるほど改善が難しくなっていきます。一生親を恨んだまま……ということもあり得ますので、大変だから、面倒だからと言わずに早めに行動に移しておくべきです。最初から100パーセント正解の行動が出来るとは限りませんが、何もしないよりはよっぽど良いです。

とにかく「母親だけが子どもと関わっている」状況だけは打破しましょう。

子どもの自信低下を止めるために

最初にも述べましたが、子どもの不登校による家庭内不和が原因での離婚というのは決して少なくはありません。

そこまで行かずとも、不登校が原因で家の中の空気が悪くなるようなことがあれば、子どもは「自分のせいだ」と重く受け止め、塞ぎ込んでしまうことでしょう。

それは、ただでさえ不登校になってしまったことで塞ぎ込んでいる子どもに、余計な追い打ちを掛けてしまうことになります。

とはいえ父親からしてみれば事情が全く分かっていないのに、一方的に「理解しろ」というのはあまりにも酷な話です。母親が出来るのは父親と話し合うことです。

間違っても、既に父親に対して恐怖や不満を感じているであろう子どもに全てを丸投げしたり、「お父さんは何も分かってくれないんだ、酷いね」などという父親一人を敵にしたような誤ったフォローをしたりしてはいけません。

それではその場限りのごまかしにしかならず、結局「自分さえいなければ、こんな大問題にはならなかった」という思考に至ることは間違いありません。

相手が子どもだからといって、適当にその場を濁して何とかなるかといえば、大間違いなのです。

むしろ、濁そうとした・誤魔化そうとしたという行為が子どもにとって大きな悪影響となります。失敗したとしても、上手くいかなかったとしても、それでも真摯に向き合おうという姿勢が大切なのです。

常に子どもの傍にいない分、父親はどうしても「真摯に子どもと向き合う」という思いが欠けてしまいがちです。その欠けていることを非難するのではなく、補うために動くのが母親の役割なのではないでしょうか。

また、子どもとの関係を上手く築くことが出来ない人に多い過ちが「子どもを親のコピー、もしくは所有物と考えている」ことです。

そういう人、特に子どもが自分と同性である場合は大抵「自分の子どもなのだから、こんなことで失敗する筈がない」と自分基準に物事を考えてしまうのです。

そしてそれは、子どもと自分が違うということをいまいち理解できていない方の親、つまりは仕事等で家を離れていることが多い大黒柱となっている人物に起こりやすいのです。「父親は子どものことを理解していない」現象の理由はここにあるのでしょう。

子どもをひとりの人間として尊重し、親としての自覚を持ち、問題解決のために努力できる家庭ならば「父親が不登校に無関心だ」という問題はまず発生しません。

何かしら欠けてしまっているからこそ、このような問題が起こっているのです。

難しいことを言っているように感じられるかもしれませんが、夫婦、親子として一つ屋根の下に暮らしていく以上、何らかの問題発生は防ぐことが出来ません。

子どもの不登校で家庭が崩壊するのであれば、もっと大きな事件が発生した際に困難を乗り越えることはきっと出来ないでしょう。

「子どもの不登校」は、家庭に訪れた試練なのです。甘く考えず、家族一同となって取り組むべき問題といえます。そのことを夫婦双方が理解したうえで、子どもへの理解を深めていく必要性があります。

なお、中学生や高校生の不登校の場合、家庭は全く関係のない確率が高いのですが、小学生の不登校は家庭の問題が大いに関係していることが多いです。

もし、不登校になった子どもが小学生であったならば、家庭内の状況を客観的に顧みる必要があると言えるでしょう。

小学生の場合は「学校で嫌なことがあって不登校になったのかと思いきや、夫婦仲が悪いせいで心を病んでしまっていた」というケースが非常に多いです。

小学生に限らず、子どもの不登校が原因で夫婦が喧嘩、ましてや離婚という事態になるのはどうにか回避するべきです。

そもそも、親は「子どもを持つ大人である」ということを理解するべきです。子どもと同じレベルに立って揉めたり、解決することから逃げて敵視・離婚といった安直な方向に走ったりする前にひと呼吸置くことを推奨します。

不登校対策の手段として、夫婦喧嘩と離婚は「これ以外にはどうしても方法が無い・このままではどう足掻いても悪化してしまう場合」のみの手段だと考えて下さい。

どうしようもなかった場合、そのショックを補えるフォローを考えてから動くべきだと思われます。

とはいえ、死別などの一部例外を除き、「父親と母親が揃っていて、円満な家庭である」というのが子どもを養育する環境として理想の状態であるということは忘れないでください。

父親と母親がこれまでと変わらない状況で、お互いを尊重しあっている姿を子どもに見せることが出来ることこそが一番の不登校改善の近道なのです。

子どもが「ちょっと学校に行ってみようかな」と思い、どうにか頑張って学校に行って、精神をすり減らして帰ってきた時。

両親が大喧嘩していたのではたまったものではありませんよね。その両親も疲れ果ててしまいますし、何も良いことがないのです。

例え不登校とは全く関係のない理由で喧嘩していたとしても、普段の様子から「自分が不登校になってしまったからだ」と全ての責任を感じてしまうかもしれませんし、次に登校意欲が沸いたとしても「学校に行っている間に状況が悪化していたら……」と誤った考えを持ち、立ち止まってしまうことも考えられます。

それではいつまで経っても不登校は改善しません。ですから、家庭は基本的に普遍であることが望ましいのです。

家庭は、子どもが新たな1歩を踏み出そうとしている時の基盤となります。円満な家庭ほど、子どもが帰る場所として安心できる環境はありません。

夫婦仲があまり良くないのであれば、それでも「夫婦」であることを選ぶのであれば、話し合いの機会をしっかりと儲けるべきです。

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