テレビやアニメの時代劇を見ていると、時々「忍者」が出てきます。
ドラマの中では神出鬼没で、人間技とは思えない行動をします。
その忍者の代表に「伊賀忍者」と「甲賀忍者」があります。
伊賀と甲賀の名前は発生した地域に由来したものであり、両者ともに大名の下で人知れず働いていました。
ただ、両者における組織や行動には大きな違いがあります。
伊賀忍者とは
現在の三重県伊賀市にいた忍者です。
以下のような特徴を持ちます。
1)大名とのつながり
商売上の取引のような関係です。
大名や権力者から依頼を受けると、傭兵として下忍を派遣します。
敵、味方という区別はなく、敵対する大名同士と取引することもありました。
2)組織
上忍と下忍という上下関係があり、上忍御三家(服部氏、百地氏、藤林氏)が意思決定権を持っていました。
甲賀忍者とは
現在の滋賀県甲賀市にいた忍者です。
以下のような特徴を持ちます。
1)大名とのつながり
伊賀忍者と違い、依頼主は1つの大名に固定し、家来として仕えます。
ただ、当該大名が没落すると、次の大名に仕えます。
普段は農業や行商しながら諜報員として活動し、戦が始まると戦場へ赴きます。
2)組織
惣という共同体組織であり、多数決による合議制によって物事が決まります。
服部半蔵と徳川家康
伊賀忍者と言うと、有名なのが服部半蔵です。
服部半蔵が徳川家康と組むと、江戸時代を通して徳川家のために働くようになります。
服部半蔵が徳川家康と繋がるきっかけは、本能寺の変の時です。
本能寺の変があった際、徳川家康が堺から三河の国へ逃げる時に、服部半蔵らに守られたことで危機を脱します。
この出来事は歴史上、「神君伊賀越え」と呼ばれています。
異なる形態
伊賀忍者と甲賀忍者は地域的にはそれほど離れていませんが、形態は全く異なっていました。
伊賀は大名と商売ベースの関係を結び、甲賀は主従関係になっていました。
組織も、伊賀は封建制になっており、甲賀は民主的と言えます。
ちなみに、ドラマなどでは伊賀忍者と甲賀忍者の戦うシーンがよく出てきますが、伊賀と甲賀の忍者が争ったという史実はありません。